小説「新・人間革命」
大山 六十 法悟空 内田健一郎 画 (6020)
山本伸一は、しみじみと思うのであった。
“戸田先生は、私という一人の真正の弟子を残した。全生命を注ぎ尽くして、仏法を、信心を教え、万般の学問を授け、将軍学を、人間学を伝授し、訓練に訓練を重ねてくださった。また、先生の事業が破綻し、烈風に立ち向かった、あの辛酸の日々を過ごしたことも、師子として私を鍛え上げるための、諸天の計らいであったのかもしれない。
私も会長就任以来十九年、全精魂を傾けて後継の人材を、一陣、二陣、三陣、四陣……と育ててきた。しかし、その本格的な育成は、いよいよこれからだ。
後を継ぐ第一陣ともいうべき首脳幹部たちは、嵐のなかに船出し、学会の全責任を担い、懸命に戦うなかで、真正の師子となってもらいたい。退路なき必死の闘争が覚悟を決めさせ、師子の魂を磨き上げるからだ。
それに、今ならば、私も彼らを見守り、個人的に励まし、一人の同志としてアドバイスしていくこともできる。執行部を、後継の同志を、正行のように、討ち死になど、断じてさせるわけにはいかぬ!”
そう考えると、すべては御仏意であると、伸一は強く確信することができた。
“あとは、二十一世紀を託す若き師子たちの育成が、大事な仕事となる。一人ひとりが、いかなる時代の激動にも対応できる、知勇兼備の後継の逸材に育ってほしい”
彼は、青年たちに、その思いを伝えるために、“大楠公”の歌のピアノ演奏をテープに収め、門下の代表に贈ろうと思った。
早速、職員にテープレコーダーを用意してもらった。そして、初めに「わが愛し、信ずる君のために、また、二十一世紀への大活躍を、私は祈りながら、この一曲を贈ります」との言葉を録音し、ピアノに向かった。
ひたすら弟子の成長を願い、一心に、時に力強く、魂を込めた演奏が続いた。
“立てよ! わが弟子よ、わが同志よ。勇み進め! 君たちこそが伸一なれば!”と心で叫びながら――。
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≪2017年(平成29年)3月13日(月)≫(旧暦2/16)
あはれ野火の草あるかぎり狂ひけり
鈴木真砂女
がうがうと七星倒る野火の上
橋本多佳子
夕野火濃くなった 男起ち 女坐る
伊丹三樹彦
強くやさしき野火爪色に家灯る
飯田龍太
野焼きしてはるかなることばかりなる
細見綾子
※ 野焼く・野焼・野火・草焼く
農家が草の生育を促し、あわせて害虫を駆除するために、春先に野や堤などの枯れ草を焼き払う風習は、いまも行われている。焼かれた草が、勢いよく新芽を吹き出すのは、灰が有効な肥料となって、発育を助けるからである。
【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】
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※☆*今週のことば*☆※
藍より青く
いよいよ前進!
これが創価の心だ。
後継の若人を大切に
希望と躍動の座談会を!
2017年3月13日
※☆*寸 鉄*☆※
学会の民衆運動は平和建設の模範―博士。草の根から広がる地球的な連帯
◇
男女青年部が対話拡大に全力!語った分だけ信頼の花が咲く。福徳が輝く
◇
魂の財宝にまさるものはない―詩人。徹して友の中へ。わが人格の錬磨を
◇
会場提供の皆様に感謝!家族・近隣への配慮忘れず。皆で地域の宝城守れ
◇
交通事故に注意。夕暮れ時に多発。(1)反射材の使用(2)早めの点灯等を徹底
※☆*名字の言*※
バスケットボール界の伝説的選手マイケル・ジョーダン。彼は常に、高い理想を持ちながらも、短期間の目標を設定し、着実に努力を重ねてきた
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大学3年の時のこと。周囲からの期待の大きさを感じた彼は、次第に“華麗なダンクシュート”ばかりを追求するように。だが逆に技術は伸び悩み、壁にぶつかった
▼
ある日、監督に指摘され、好調だった時は基本練習を繰り返していたことに気付く。「3年生のぼくは近道を探していただけ」と振り返る彼は、こう断言する。「目標を達成するには、全力で取り組む以外に方法はない。そこに近道はない」(『挑戦せずにあきらめることはできない』楠木成文訳、ソニー・マガジンズ)
▼
目標が大きいと“一気に”“要領よく”進めたいと思うことがある。しかし、地道な努力なくして、大きな飛躍は望めない。御書には「衆流あつまりて大海となる」(288ページ)と。広大な海は、小さな川の集まりであり、その川もまた、一滴一滴の水が集まったものである
▼
池田先生は「大発展、大勝利といっても、日々の挑戦の積み重ねである。今を勝ち、きょうを勝つなかにしか、将来の栄光も、人生の勝利もない」と語る。不可能の壁は、少し頑張れば可能な、しかし弛みない努力の末に破られる。(速)
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小説「新・人間革命」
大山 五十九 法悟空 内田健一郎 画 (6019)
一九五一年(昭和二十六年)の一月六日、万策尽きた戸田城聖が書類整理をしながら語った言葉は、山本伸一には“大楠公”に歌われた楠木正成の心情と重なるのであった。
〽正成涙を打ち払い
我子正行呼び寄せて
父は兵庫に赴かん
彼方の浦にて討死せん
いましはここ迄来れども
とくとく帰れ故郷へ
以来、二十八年余――伸一は今、静岡研修道場にあって、後継の人を残して決死の大戦に赴こうとする勇将の胸の内を、そして、わが師の思いを嚙み締めていた。
彼もまた、十条潔ら新執行部に、さらには後継の若き人材たちに、これからの学会を託して、新しき世界広宣流布へと旅立つことを思うと、あの時の戸田の覚悟が強く心に迫ってくるのである。
伸一は、研修道場の白いピアノに向かった。指が鍵盤を走り、“大楠公”の曲を奏で始めた。
〽父上いかにのたもうも
見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん帰られん
此正行は年こそは
未だ若けれ諸共に
御供仕えん死出の旅
〽いましをここより帰さんは
わが私の為ならず
己れ討死為さんには
世は尊氏の儘ならん
…………
彼は心で恩師・戸田城聖に誓っていた。
“正成も、父の遺志を継いだ正行も、足利方と戦い、敗れ、無念の最期を遂げましたが、私は負けません。必ず全同志を守り抜き、世界広宣流布の新舞台を開きます!”
*小説『新・人間革命』文中の「青葉茂れる桜井の(大楠公)」(作詞=落合直文)の歌詞は、正規には本文中のとおりですが、学会のなかでは慣習的に、「いまし」は「汝(なんじ)」、「来(きつ)れ」は「来(きた)れ」、「わが私の」は「われ私の」と歌われています。
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山焼く/今日の俳句 ≪第2438号≫
≪2017年(平成29年)3月12日(日)≫(旧暦2/15)
麗火よと遠山に見る山火かな
高屋窓秋
ひとの世の在りしはむかし山火燃ゆ
野見山朱鳥
伊豆の山焼きて雉子を昂ぶらす
細見綾子
山焼の火の遠きほどかなしきよ
鈴木真砂女
葺き余す瓦を屋根にお山焼
野澤節子
※ 山焼く
傾斜の急な山の斜面にはびこった雑草や無用の低木等を焼いて、その跡を畑にして、麦や豆類を蒔く。灰が天然の肥料となり、野菜や雑穀類の生育を促すため、今でもこうした素朴な開墾法が、一部の農山村では行われている。大昔は、山全体を焼いてこのような農法を行い、二、三年後にさらに移動して別の山を焼き国土を荒廃させた原始民族があり、それを火田民と呼んだ。畑すなわち火の田で、山を焼いて畑にした農耕民族は、世界各地に分布していた。山焼きの火を山火といい、昼夜をわかたず炎々と燃え続け、夜などは相当遠方からも望むことができる。多く草木の枯れた早春に焼く。北海道では、開墾法として大規模な山焼が行われている。
【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】
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※☆*わが友に贈る*☆※
人生は強気でいけ!
信心とは
不屈の楽観主義だ。
「私は勝つ!」と
前へ、また前へ!
2017年3月12日
※☆*寸 鉄*☆※
言葉の力で広布は進む。声仏事だ。正義の声、慈愛の声―弾む生命で語ろう
◇
東京・喜多区女性の日。歓喜の門開く対話拡大を颯爽と!偉大な太陽の連帯
◇
「宗教は私たちの行動全体に行き渡るべきもの」偉人。大誠実の賢者たれ
◇
迅速さが勝利の鍵。幹部は報告・相談に電光石火で動け。会員奉仕の心で
◇
複数の犯人が役を演じる「劇場型詐欺」が頻発。意喚起絶やさず撃退を
※☆*名字の言*※
旋盤工が使う図面には、百分の一ミリ単位の数字が並んでいた。その精密さにひるむ見習工。先輩が声を掛けた。「百分の一ミリってのがどんなものか、教えてやろう」
▼
先輩は見習工の両手に髪の毛を1本ずつ持たせ、親指と人さし指でもませた。「どっちが太い?」。正しく答える見習工。その差、百分の一ミリ。「な。百分の一ミリなんて、そんなもんだ」と先輩。人間の指先がどんなに鋭いものかを教えられた、と熟練の旋盤工で作家の小関智弘さんは振り返る(『町工場・スーパーなものづくり』ちくま文庫)
▼
触覚だけでなく、人間の五感には想像以上の力がもともと備わっている。そう考えると、電話やメールですませず、直接会って触れ合うことの大切さを改めて思う
▼
就職活動に励む後輩を、日々激励する群馬の男子部員。ある日の別れ際、後輩が“頑張ります”と。その声と表情にかすかな“惰性”を感じた男子部員は、あえて踏み込む。「“勝ちます”と言い切っていこうよ」。そして一緒に唱題を。後輩は心新たに挑戦を重ね、希望通りの就職を果たした
▼
御書に「言は心を尽さず事事見参の時を期せん」(1012ページ)と。会わなければ気付けない表情や、聞こえない心の声がある。時を逃さず、悩める友に向き合いたい。(江)
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橇しまふ/今日の俳句 ≪第2437号≫
≪2017年(平成29年)3月11日(土)≫(旧暦2/14)
いつの間にどこやらに橇しまはれて
田村了咲
しまひ橇して大吹雪また来る
二唐空々
叱られてスキーしまふ子うとみをり
深尾正夫
橇納ひ遠い音のせ芽吹く空
新谷ひろし
軒深く納めし橇の今年傷
立川きよし
※ 橇しまふ・捨橇・スキーしまふ
雪国では、冬に常用していた橇を納屋などにしまい込む。馬橇などは、家裏の空き地の隅へそのまま放っておく。都会では、愛用のスキーを手入れして、天井へつるしたり、物置へ片づける。
【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】
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※☆*わが友に贈る*☆※
妙法の絆は永遠だ。
広宣流布の題目こそ
最高の追善供養となる。
不撓不屈の同志と共に
三世に輝く福徳の道を!
2017年3月11日
※☆*寸 鉄*☆※
青年よ、理想に生きよ。炎となって進め!―戸田先生。凱歌の青春を堂々と
◇
小樽問答の日。勝負決した猛然たる師子吼。破邪顕正の闘魂を弟子が継承
◇
「開とは信心の異名なり」御書。強盛な祈りで境涯開け。そこに幸の軌道が
◇
警察から児童相談所への虐待通告、初の5万人超。地域力で未来の宝を守れ
◇
ネット通販トラブルが急増。手軽さつけ込む商法。確認を入念に。賢く利用
※☆*名字の言*※
福島県葛尾村を走る道すがら、大きな看板を見た。それは2000年(平成12年)に「交通死亡事故ゼロ」1万3000日を達成した記念に設置されたものだった
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記録のためには村民だけでなく、村内に職場があったり、村を通過したりする人も無事でなければならない。村民と、村に関わる全ての人の努力によって結実する。しかも“飛び石”ではなく、“一日一日”の積み重ねで築かれた偉業だ
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それに倣えば、今日までは震災から「6年」というより「2192日」の道のりだった。不屈の心で試練と闘う友、その奮闘を支え、寄り添った全ての人――2192日に、一日として無駄な日はない
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先日、東京の友人に「今年の『3・11』から学会創立100周年の2030年11月18日まで、ちょうど5000日ですね」と教わった。居場所は離れていても、常に思いを寄せてくれる同志の存在は、「新生・東北」の構築を加速させる力となる
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池田先生は創立100周年を展望しつつ、「私たちは、自身の人生の一日また一日を、粘り強く、勝ち飾りながら、後継の青年たちへ、宝の未来っ子たちへ、しっかりと広宣流布のバトンをつないでいきたい」と呼び掛けた。力強く復興と広布の未来を開く使命を胸に、心新たに進みゆこう。(城)
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小説「新・人間革命」
大山 五十八 法悟空 内田健一郎 画 (6018)
戸田城聖の目は、広宣流布の未来を見すえていた。その未来へ、創価の魂の水脈を流れ通わせるために、彼は、山本伸一という一人の弟子に、後継者として一切を託そうとしていたのである。
伸一には、その師の気持ちが痛いほどわかった。戸田は、再確認するように語った。
「私と君とが、使命に生きるならば、きっと大聖人様の御遺命も達成する時が来るだろう。誰がなんと言おうと、強く、強く、一緒に前へ進むのだ!」
伸一は、潤んだ瞳を上げた。
「先生、決して、ご心配なさらないでください。私の一生は、先生に捧げて、悔いのない覚悟だけは、とうにできております。この覚悟は、また、将来にわたって、永遠に変わることはありません」
まさに背水の陣ともいうべき状況のなかでの、厳粛な師弟の対話であった。
この時、伸一の脳裏に、湊川(兵庫県神戸市)の戦いに赴く武将・楠木正成と長子・正行の父子が交わした別れの語らいが浮かんだ。
一三三六年(延元元年・建武三年)、正成は、朝敵となった足利尊氏の上洛を防ぐために、湊川の戦場へと向かう。しかし、討つべき足利方の軍は大軍であり、敗北は必至であった。死を覚悟しての戦いである。
正成は湊川での決戦を前にし、桜井(大阪府三島郡島本町)の地で正行を呼び、引き返すように告げる。だが、正行も、父と共に討ち死にする覚悟であり、帰ろうとはしない。正成は、涙ながらに、もしも二人が共に討ち死にしてしまえば、尊氏の天下となってしまうことを訴え、正行を説き伏せる。
その情景を歌にしたのが、“大楠公”と呼ばれる「青葉茂れる桜井の」(作詞・落合直文)である。戸田が愛し、青年たちに、よく歌わせた歌である。正成は、正行に言う。
「早く生い立ち大君に 仕えまつれよ国の為」――この歌詞に戸田は、青年たちへの、“早く巣立ってほしい。広宣流布の大願に生き抜け!”との願いを託していたのである。
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目貼剥ぐ/今日の俳句 ≪第2436号≫
≪2017年(平成29年)3月10日(金)≫(旧暦2/13)
目貼剥ぐみ仏はなほ厨子ごもり
八染藍子
目貼剥ぐ空のひろさに歌ふ子よ
豊山千蔭
轉属と決まりし兵の目貼はぐ
高島 茂
全身に海風受けて目貼剥ぐ
岡部名保子
師の受賞祝ぐ日近付く目貼り剥ぐ
鈴木石花
※ 目張剥ぐ
隙間風や吹雪の吹き入れるのを防ぐために、冬の寒い間、窓の戸障子や壁の隙間に、丈夫な和紙を貼って、空間を塞ぐのを目張りという。一陽来復の春の訪れとともに、一斉にそれらを剥ぎ取るのである。
【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】
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※☆*わが友に贈る*☆※
寒暖の差が
激しくなる時期。
1枚羽織るなど
体調管理を賢明に。
油断なく健康人生を!
2017年3月10日
※☆*寸 鉄*☆※
未来部が各地で卒業部員会。全員が尊き使命持つ後継者。真心のエールを
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本幹中継を支える役員の皆さまに感謝。毎回の集いを前進と勝利の源泉に
◇
御書「賢者はよろこび愚者は退く」。青年よ困難に挑め!誉れの共戦譜綴れ
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農山漁村女性の日。農漁光部の婦人部・女子部が各地で大活躍。地域の光
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自然災害時の避難場所を家族で確認50%弱―調査「いざ」の備えを普段から
※☆*名字の言*※
「われは湖の子 さすらいの……」で始まる「琵琶湖周航の歌」は、旧制第三高等学校(現・京都大学)の寮歌。今年、誕生100周年を迎える
▼作詞は水上部(ボート部)だった小口太郎。1917年6月28日、滋賀・高島市今津の宿で仲間に披露し、当時、学生の間で流行していた「ひつじぐさ」(吉田千秋作曲)の曲に合わせて歌ったのが誕生の瞬間といわれる
▼71年9月5日、琵琶湖畔に滋賀研修道場(米原市)が開館。記念して開催された第1回「琵琶湖フェスティバル」で、高等部員46人がこの歌を合唱した。じっと聞き入っていた池田先生は、「ここで『琵琶湖周航の歌』を聞くと長生きする思いがする」と語り、「もう一度みんなで歌おう」と提案。参加者と一緒に何度も歌った
▼10年後の81年11月23日、先生は再び同研修道場で“周航の歌”を聴いた。会長辞任後、初の訪問である。心を込めて歌った婦人部合唱団に、「天の曲 幸の声あり 琵琶湖かな」との句を贈った
▼“周航の歌”は、日本一大きな湖を、自らの力でこいでまわった学生が、大正ロマンの気風の中で詩情豊かに歌い上げた“青春賛歌”。歌詞の最後は、創価の同志の心意気とも響き合う。「黄金の波に いざ漕がん 語れ我が友 熱き心」(糀)
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