浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

常楽(14)/小説「新・人間革命」

 

【常楽14】

 滝泉寺院主代の行智は、正法に帰依した僧たちに、敵意を露わにして迫った。

 ――法華経は信用できぬ法である。すぐに法華経を読誦することをやめて、ひたすら阿弥陀経を読み、念仏を称えるという起請文(誓詞)を書けば、居る所は保障してやろう!

 この脅しに屈し、退転していく者もいた。難は信心の真偽を試す。

 行智の言に従わなかった日秀、日弁は、滝泉寺にいることができなくなった。しかし、寺内に身をひそめながら、熱原郷をはじめ、他の郷にも弘教にでかけていった。

 彼らの信望は厚く、広宣流布の火は燃え広がり、弘安元年(一二七八年)に、熱原の農民である神四郎、弥五郎、弥六郎の兄弟が信心を始めた。この三兄弟が、熱原の農民信徒の中心になっていったのである。

 唱題の声は、あの家、この家から、熱原の田畑に響き、弘安二年(七九年)のうららかな春が訪れた。法華衆の広がりを苦々しく思っていた行智は、いよいよ農民信徒にも迫害を開始した。

 四月、浅間神社の祭礼が熱原郷内にある分社で行われた。流鏑馬の行事で賑わうなか、雑踏に紛れて、法華信徒の四郎が何者かに襲われ、傷を負ったのである。

 そして八月、今度は門下の弥四郎が殺害されたのだ。〝法華経の信仰を続けると、こうなるぞ〟という脅しであった。これらは、行智が富士郡下方の政所代と結託しての犯行であり、しかも、その罪を日秀らに被せようとしたのだ。弾圧の凶暴な牙は、農民信徒にとって、大きな恐怖となったにちがいない。

 日蓮大聖人は、「異体同心事」のなかで、熱原の人びとのことに触れて、こう仰せになっている。

 「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書一四六三頁)

 団結は、皆を勇者に育む。団結があるところには、勝利がある。


【「聖教新聞」2016年(平成28年)1月18日(月)より転載】


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