浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

常楽(15)/小説「新・人間革命」

 

【常楽15】

 熱原の農民信徒は、互いに励まし合い、決して信心が揺らぐことはなかった。

 行智の一派は、さらに悪質な弾圧の奸計をめぐらした。

 弘安二年(一二七九年)九月二十一日、稲刈りのために農民信徒が集まっていた。そこに、下方政所の役人らが、弓馬をもって大挙して押し寄せ、農具しか持たぬ信徒たちに襲いかかったのである。

 農民たちは、抵抗のすべもなかった。神四郎、弥五郎、弥六郎の三兄弟をはじめ、二十人が捕らえられ、下方政所へ引き立てられていった。

 彼らに着せられたのは「刈田狼藉」の咎である。稲を盗み取って、乱暴を働いたというのだ。その訴人となったのは三兄弟の兄で、弟たちの信心を快く思わぬ弥藤次であった。

 親や兄弟など、血を分けた人が憎悪し、迫害の急先鋒になることは、人間の感情として辛く、耐え難い。だから、第六天の魔王は、しばしば近親の身に入って、迫害、弾圧を加える。池上兄弟として知られる宗仲・宗長も、父の康光に信心を反対された。特に兄の宗仲は、二度にわたって勘当されている。

 弥藤次の訴状には、日秀が武装した暴徒を率いて馬に乗り、滝泉寺の院主の坊に乱入し、滝泉寺の田から稲を刈り取って、日秀の住坊に運び込んだとなっていた。

 事実は、全くすり替えられていたのだ。

 捕らえられた農民は、鎌倉に送られた。尋問は、大聖人を迫害した侍所の所司(次官)・平左衛門尉頼綱によって、彼の私邸で行われた。彼は行智と通じていたのだ。訴状を差し置いて、こう迫ったのである。

 「法華の信仰をやめて、念仏を称えよ。そうすれば、罪は許して帰され、安堵することができよう。しかし、もし信仰を改めなければ、きっと重罪に処せられよう」

 農民たちは皆、信心を始めて一年ほどにすぎない。だが、誰一人として動じなかった。

 信心の強さは、歳月の長さによるのではなく、決定した心によってもたらされるのだ。

 

【「聖教新聞」2016年(平成28年)1月19日(火)より転載】


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