浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

常楽(16)/小説「新・人間革命」 【常楽16】

 

【常楽16】

 「法華経を捨てよ」と迫る平左衛門尉頼綱に対して、熱原の農民信徒は、声も高らかに唱題を響かせた。それは、不惜身命の決意の表明であった。

 激昂した頼綱は、次男である十三歳の飯沼判官資宗に、蟇目の矢で農民たちを射させた。この矢は、桐材を鏃とした鏑矢で、当たれば体内の悪魔が退散するとされていた。音を発して飛び、犬追物などにも使われた。

 その矢が迫ってくる恐怖、打ち当てられた痛みは、いかばかりであったか。

 農民信徒は、過酷な拷問に耐え抜いた。

 遂に頼綱は、十月十五日、信徒の中心的な存在であった神四郎、弥五郎、弥六郎を斬首した。しかし、それでも農民たちは、一人として信仰を捨てようとはしなかった。毅然として唱題し続けたのだ。彼らの不屈の信仰に、頼綱は狼狽したにちがいない。

 結局、処刑は、三人までで、あきらめざるをえなかった。残った十七人は、追放処分となっている。

 一方、日秀は熱原郷から、一時、下総(千葉県北部など)に移るが、その後も、日興上人と共に弘教に奔走するのである。

 日蓮大聖人の門下は、日昭などの僧、富木常忍や四条金吾などの武士、そして、武士の妻をはじめ家族へと広がってきた。

 しかし、一閻浮提広宣流布を進め、万人成仏の教えを現実のものとしていくには、農民などの民衆が、法華経の教え通りに諸難を乗り越える、不退の信心を確立しなければならない。彼らの多くは、読み書きもできなかったであろう。その民衆が純真な信心で、横暴な権力の迫害にも屈せず、死身弘法の実践を貫き通したのである。つまり、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を受持し、大聖人と共に広宣流布に戦う偉大な民衆が出現したのだ。

 大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書一三六〇ページ)と仰せである。

 民衆を単に救済の対象とするのではなく、民衆が人びとを救済する主体者となる。ここにこそ、真実の民衆仏法がある。


【「聖教新聞」2016年(平成28年)1月20日(水)より転載】


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