浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

常楽(26)/小説「新・人間革命」

 

【常楽26】

 作詞が三番の後半にいたった時、山本伸一は峯子に言った。
 「ここには、ご主人のことも、一言入れておきたいな。壮年部歌の『人生の旅』では、『ああ幾山河 妻子と共に』としたんだから、どこかに『夫』と入れておきたいんだよ」
 「そうですね。でも、婦人部には、ご主人を亡くされ、働きながら懸命にお子さんを育てている方や、結婚なさらずに頑張っている方もおりますから」
 「確かにそうだ。では、夫のこともすべて含め、『城の人々 笑顔あり』としよう」
 さらに、四番に入った。
 「戸田先生は、婦人部を“白ゆり”にたとえられてきたので、最後の四番には、“白ゆり”を使いたいと思っていたんだよ。
 『母はやさしく また強く 胸に白ゆり いざ立ちぬ』ではどうかな。“白ゆり”は、学会婦人部の象徴だ。その誇りを胸にいだき続けてほしいんだ。
 何か意見はないかい。婦人部の歌なんだから、婦人の率直な声を聞きたいんだよ」
 促されて、峯子は微笑みながら語った。
 「“白ゆりの花”ですから、『いざ立ちぬ』より、『いざ咲きぬ』の方がいいように思えますが……」
 「なるほど。その通りだ。そうしよう。
 それから、婦人部といっても、若くして結婚した十八歳ぐらいから、高齢の方までいる。四番には、草創期から頑張ってこられたお年寄りのことを詠いたいな。年を取っても、元気に後輩を支え、守り、激励を重ねてくださっている方も多いからね」
 そして彼は、「老いゆく歳も 忘れ去り 諸天も護れ この舞を 誉れの調べ 母の曲」としたのである。
 一番から四番までの口述にかかった時間は、五分ほどであった。
 伸一は、峯子が清書した歌詞に目を通し、推敲した。特に直すべきところはなかった。
 彼は、歌詞の最後の言葉から、この歌の曲名を、「母の曲」としたのである。


【「聖教新聞」2016年(平成28年)2月1日(月)より転載】


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