浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

〈小説「新・人間革命」〉

 


【常楽47】法悟空 内田健一郎 画 (5735)

 山本伸一は、指導部の同志には、仏法者として、人間として、人生の見事な総仕上げをしてほしかった。牧口常三郎初代会長のように、命ある限り、広宣流布への闘魂を燃やし続けてほしかった。
 いかに晩年を生きたかが、一生の総決算となる。青年時代から悪戦苦闘を乗り越え、懸命に学会活動に励んできたとしても、高年になって、広布への一念を後退させてしまうならば、人生の大勝利を飾ることはできない。
 日蓮大聖人は、「始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん」(御書一四四〇ページ)と仰せである。
 多くの人は、年を取れば、組織の正役職を若い世代に譲ることになる。それは、組織を活性化させるうえでも大切なことである。
 しかし、役職を交代したからといって、“あとは若い世代が頑張ればよい”と考え、学会活動に情熱を燃やせなくなってしまうならば、それは己心の魔に負けている姿であろう。
 いかなる立場になろうが、組織の中心者と心を合わせ、広宣流布のために、自分のなすべきことを見つけ、創造し、そして行動していくのだ。「さあ、これからが本番だ!」と、“いよいよ”の決意で、新しき挑戦を重ねていくのだ。それが“創価の心”である。
 年齢とともに時間的なゆとりも生じよう。個人指導や仏法対話、地域友好・貢献にも、より多くの時間を費やすことができる。
 また、失敗も含め、積み重ねてきた豊かな人生経験は、人びとを励ますうえでも、仏法を語るうえでも、大きな力となる。人生のすべてが生かせるのが信心なのである。
 たとえ足腰の自由が利かなくなったとしても、電話や手紙などで人を励ますことはできる。さらに、皆の幸せを願って唱題することもできる。決して無理をする必要はない。大事なことは、戦う心を忘れないことだ。
 人生も社会も、諸行無常である。しかし、生涯、誓いを胸に、同志と共に広宣流布に生き抜くなかに、生命の大法に立脚した常楽我浄の人生があるのだ。


【「聖教新聞」2016年(平成28年)2月26日より転載】


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