浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

力走 二十三〈小説「新・人間革命」〉

 


【力走 二十三】 法悟空 内田健一郎 画 (5780)

 山本伸一たちは、高丘の家から、名張の代表らとの協議会の会場となるドライブインへ向かった。このドライブインは、高丘秀一郎の弟の生郎が営む店で、車で五分ほどのところにあった。
 協議会には、地元の代表のほか、方面・県の幹部も参加することになっていた。
 夕食時であり、最初に皆で食事をした。そして、今後の活動などについて協議したあと、伸一は、懇談的に話し始めた。
 「中部は今、愛知、三重、岐阜の三県が団結し、大きな飛躍を遂げている。特に愛知は、東京、大阪と並んで、大きな柱となった。大前進に心から期待を寄せています。
 今日は、皆が和気あいあいと広宣流布を進め、功徳を受けきっていくうえで、大きな障害となる怨嫉という問題について、未来のために語っておきたい。
 信心をしていても、同志を嫉妬し、恨んだり、憎んだりするような心があれば、功徳も、福運も積めないし、喜びも、感激も、生命の躍動もありません。そうなれば、表面的に、いくら取り繕っていたとしても、その人の実像は不幸です。
 そんな事態にならないために、何が大事か。
 学会の世界は、信心の世界です。信心から出発し、信心で終わる。すべてを信心の眼でとらえていくことが肝要なんです。
 では、信心とは何か。
 万物の一切が、わが生命に、己心に収まっており、自分自身が妙法蓮華経の当体であり、仏であるとの絶対の確信に立つことです。大聖人は『都て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず』(御書三八三ページ)と仰せです。
 “自分の胸中に仏の大生命が具わっていることを信じて、ひたすら唱題し、自分を磨いていきなさい。それ以外に人生の苦しみ、迷いから離れることはできない”というのが、大聖人の教えなんです。皆さんが、本来、仏なんですよ。その自分を信じ抜くんです。他人と比べ、一喜一憂する必要はありません」


【「聖教新聞」2016年(平成28年)4月20日より転載】


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