浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

力走 二十九〈小説「新・人間革命」〉

 


【力走 二十九】 法悟空 内田健一郎 画 (5786)

 「幹部」というのは、本来、木の幹であり、中心をなすものである。「幹部」が腐ったり、弱かったりすれば、樹木そのものが危殆に瀕する。ゆえに山本伸一は、学会の幹部の在り方について、あえて詳細に語っていったのである。
 「幹部は、皆に信心の養分を送り続けていく存在であり、そのためには、自らが信心強盛な先輩を求めて切磋琢磨し、常に成長し続けていくことが大事です。そうするなかで充実感も、希望も湧き、大きな生きがいも感じていくことができる。
 なかには、一応は先輩幹部であっても、広宣流布への使命感も、情熱も乏しく、ともすれば組織の批判ばかりする人もいます。もし、そうした人との交わりを深め、同調して、不平や不満を並べていると、自分も清新な信心の息吹を失い、堕落していってしまう。
 残念なことに、これまで、そういう事例を、幾つも見てきました。
 次に、幹部の反社会的な行為や組織利用は絶対に許されないということを、深く心にとどめていただきたい。幹部に、そうした行為があれば、大勢の学会員を苦しめ、広宣流布の大きな遅れにもつながってしまう。
 仮に、そういう幹部と親しい関係にあったとしても、決して擁護する必要はありません。学会は、悪は悪であると鋭く見抜き、的確に対処できる健全な組織でなければならない」
 仏法の説く生命の因果の法則は、人間の規範、モラルの根本となるものである。不正、悪事を行い、人の目をごまかすことはできたとしても、仏法の因果の理法を逃れることはできない。どんなに小さな悪事も、また、善事も、すべては報いとなって自分自身に返ってくる。日蓮大聖人は、「悪因あれば悪果を感じ善因あれば善果を感ず」(御書七六八ページ)と仰せである。
 この法則を、生き方の基としているのが仏法者である。ゆえに、われらは、最もモラルを重んじ、正義を貫く、高潔なる人格の人でなければならない。

【「聖教新聞」2016年(平成28年)4月27日より転載】


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