浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

力走 三十ニ〈小説「新・人間革命」〉

 


【力走 三十ニ】 法悟空 内田健一郎 画 (5789)

 本部職員の島寺義憲が、高知県長として派遣されたのは、二年前の十二月であった。彼は、東京の日本橋で生まれ育ち、三十五歳にして初めて暮らす異郷の地が高知であった。
 県長の任命を受けた時、彼は、なんの逡巡も迷いもなかった。“広宣流布のためなら、どこへでも行こう! わが生涯を、山本先生と共に広布にかけよう!”と、心を定めていたからである。
 島寺に限らず、当時、各県の県長等に就いた青年幹部の多くが、同じ気持ちでいた。皆、青年部員として、会長・山本伸一の薫陶を受け、“わが人生は広布にあり”“わが生涯は学会と共に”と決め、力を磨き蓄えていたのである。だから、突然、どこへ行くように言われても、動揺も、不安も、不満もなかった。二つ返事で、そこをわが使命の舞台と決め、若鷲のごとく、あの地、この地へと、喜び勇んで飛んでいったのだ。
 もちろん、それぞれが個人の事情をかかえていたはずである。しかし、皆、日ごろから、後継の青年部として広宣流布の一切の責任を担っていこうと覚悟を定めていたのだ。その精神があったからこそ、「広布第二章」の建設があったといえよう。広宣流布のバトンを受け継ぐ青年たちは、いかなる時代になっても、この心意気を忘れてはなるまい。
 すべてに、自分の都合ばかりを主張し、エゴイズムに埋没してしまうならば、皆との調和も、自身の境涯の向上もない。また、広宣流布を加速させることも、社会に貢献することもできなくなってしまう。大きな理想に生きようとしてこそ、自己の殻を打ち破り、境涯を開いていくことができるのだ。
 戦前の「創価教育学会綱領」には、次のようにある。
 「本会は他を顧み得ぬ近視眼的世界観に基づく個人主義の利己的集合にあらず、自己を忘れて空観する遠視眼的世界観に基づく虚偽なる全体主義の集合にもあらず」(注)
 広布をめざすなかに個人の幸福もあり、自他共の幸福のために、広布に走るのである。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「価値創造」補注(『牧口常三郎全集10』所収)第三文明社 


【「聖教新聞」2016年(平成28年)4月30日より転載】


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