浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

力走/四十九〈小説「新・人間革命」〉

 


力走 四十九 /法悟空 内田健一郎 画 (5806)

 高知研修道場の広場では、勤行会参加者のために、タコ焼きや豚汁などの模擬店が開かれ
ていた。山本伸一は、そこにも足を運び、茅葺きの東屋で、皆の様子を見守りながら、高知
の県幹部らと懇談した。
 県長の島寺義憲が、研修道場の整備作業の中心となってきた壮年を紹介した。
 「天宮四郎さんです」
 伸一は、丁重にあいさつした。
 「多大なご尽力をいただき、大変にありがとうございます。四郎さんとおっしゃるんです
ね。いいお名前です。熱原の三烈士の神四郎を思わせます。昭和の神四郎となって、地域の
同志を守り抜いてください」
 天宮は、瞳を輝かせて「はい!」と答え、伸一が差し出した手を握り締めた。小柄ではあ
るが、気骨を感じさせる壮年であった。
 彼は、研修道場のある土佐清水市の隣・幡多郡大月町で建築業を営んでいた。
 十四歳で大工の道に入った。やがて太平洋戦争が始まると、特攻隊を志願した。しかし、
出撃となった時、乗り込んだ戦闘機のエンジンが不良のため、延期となった。同じことが三
度も続いて、終戦を迎えた。
 戦後は、再び大工の修業を始め、やがて結婚。故郷の大月町で工務店を開いた。夢は大き
く膨らみ、営業にも力を注いだ。
 努力の末に、仕事が軌道に乗ると、夜のつきあいも連日のようになり、酒量も増した。
 腹部に痛みを感じるようになった。それでも我慢しては、つきあい酒を重ねた。遂に、我
慢も限界に達し、病院に駆け込んだ。腎臓病と診断された。“いよいよ、これから”という
時である。描いていたバラ色の未来が、一転して暗黒に変わった。続く腹部の痛み、募る苛
立ち……。それを忘れるために、さらに酒を飲んでは、妻の繁美にあたった。
 見かねた繁美の姉から入会を勧められ、藁にも縋る思いで、夫妻は信心を始めた。一九六
二年(昭和三十七年)十月のことである。
 信心とは、人生のいかなる暗夜にも黎明をもたらす、希望の光源である。

 

 

【「聖教新聞」2016年(平成28年)5月21日より転載】

 

 

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