浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

力走/五十〈小説「新・人間革命」〉

 


力走 五十 /法悟空 内田健一郎 画 (5807)

 天宮四郎は、土佐の「いごっそう」を自負していた。ひとたび信心を始めたからには、徹しきってみようと腹を括った。学会の指導通りに朝晩の勤行を励行し、真剣に唱題を重ねた。苛立ちは失せ、酒を飲んで妻にあたることがなくなった。そして、腹部の痛みが消えた。健康は次第に回復していった。
 “すごいぞ! この信心は本物や!”
 その喜びが、夫妻を弘教へと駆り立てた。
 しかし、知人も、親戚も、皆、信心には、反対するのだ。学会を目の敵にする建設関係者も多く、仕事を回してもらえなくなった。やむなく、小さな河川の修復工事などをして食いつなぐありさまだった。
 しかし、信心によって、心身ともに窮地を脱し、こうして汗水たらして働けるようになったという体験が、彼らを支えた。
 天宮は、不思議でならなかった。
 “これまで、ほかの宗教には反対せんかった人が、創価学会いうたら、途端に血相を変えて、感情的になって非難し始める。ところが、いろいろ言うわりには、学会が、どんな教えかも全く知らん。入会したことがあるわけでもない。それやのに、とんでもないもんと、頭から決めてかかっちょう。学会の人が、正しい教えやからこそ皆に反対されると、語っていた通りだ”
 彼は、いよいよ確信を強くした。
 “俺は戦争で死ぬはずの人間やった。しかし、生き残って信心に巡りおうた。広宣流布のために生きちょうようなもんよ! 幡多の、大月町の広布に生涯をかけるんじゃ!”
 こう決意した彼は、地域で信頼を勝ち取るために、仕事にも誠実を尽くした。彼の手がけた仕事は、顧客の誰もが喜んでくれた。また、どんなに忙しかろうが、徹夜を重ねても納期を守った。天宮を見る周囲の目は、次第に信頼と尊敬の眼へと変わっていった。
 仏法即社会である。広宣流布のためという生き方の芯が確立されれば、社会生活への取り組み方や振る舞いも、おのずから変わっていく。信心の勝利は、生活の勝利となる。

 


【「聖教新聞」2016年(平成28年)5月23日より転載】

 

 

☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡