浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

力走/五十七〈小説「新・人間革命」〉

 


力走 五十七/法悟空 内田健一郎 画 (5814)

 レストランで同志を励ました山本伸一は、車で足摺岬灯台をめざした。
 一キロほど走り、駐車場で車を降りると、灯台へ続く入り口広場に立つ、和服姿の銅像が見えた。台座を含め、像の高さは、六、七メートルであろうか。
 島寺義憲が、すぐに説明を始めた。
 「先生。あれは中浜万次郎、つまりジョン万次郎の銅像です」
 一行は、万次郎像の前まで行き、像を見上げた。そして、語らいが始まった。
 「ジョン万次郎」という名が日本中に広く知られるようになったのは、作家・井伏鱒二の小説『ジョン萬次郎漂流記』によるところが大きい。伸一も、少年時代に胸を躍らせながら読んだ、懐かしい思い出がある。
 中浜万次郎は、文政十年(一八二七年)の元日、現在の土佐清水市中浜に、半農半漁の家の次男として生まれた。
 少年期に父が他界し、母を助け、体の弱い兄に代わって懸命に働いた。
 天保十二年(一八四一年)一月、十四歳になった彼は、漁を手伝って、暴風雨に遭い、四人の仲間と共に漂流したのである。
 数日後、たどり着いたのは、伊豆諸島にある無人島の鳥島であった。渡り鳥を捕まえて食べ、飲み水を探し回らねばならなかった。
 島での生活は、百四十三日も続いた。ようやくアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救出された彼らは、ハワイのオアフ島に送り届けられる。日本は鎖国をしており、日本に送ることはできなかったのである。
 仲間四人は、ハワイにとどまることになったが、万次郎は、そのまま捕鯨船に残り、航海を続けることを希望した。
 彼は、家が貧しかったために、寺子屋に通って、読み書きを学ぶこともできなかった。しかし、聡明であった。世界地図の見方や英語などを船員たちから学び、瞬く間に吸収していった。
 強き向上、向学の一念があれば、人生のいかなる逆境も、最高の学びの場となる。


 小説『新・人間革命』の主な参考文献
 中浜明著『中浜万次郎の生涯』冨山房
 中浜博著『私のジョン万次郎』小学館
 中濱武彦著『ファースト・ジャパニーズ ジョン万次郎』講談社
 「ジョン萬次郎漂流記」(『井伏鱒二全集第二巻』所収)筑摩書房

【「聖教新聞」2016年(平成28年)5月31日より転載】

 


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