浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

力走/六十〈小説「新・人間革命」〉

 


力走/六十 法悟空 内田健一郎 画 (5817)

 島寺義憲が中浜万次郎像の顔を指さしながら、山本伸一に説明した。
 「先生。この像は、ホイットフィールド船長が住んでいたアメリカのフェアヘイブンの方角を向いているということです」
 伸一は、「そうか」と頷き、言葉をついだ。
 「万次郎は、普仏戦争が起こると、視察団としてヨーロッパに派遣される。その途次、アメリカのフェアへイブンを二十年ぶりに訪れている。親代わりであり、師でもあったホイットフィールド船長に会うためだよ。大恩人に、なんとしても、感謝の思いを伝えたかったんだろうね。
 報恩は人道の礎だ。私も、片時たりとも、戸田先生への報恩感謝を忘れたことはない」
 古代ローマの政治家キケロは、「いかなる義務も恩を返すより重大なものはない」(注)との箴言を残している。報恩は、古今東西を問わず、普遍的な人間の規範といえよう。
 万次郎像から二百メートルほど歩いて、白い灯台の下に立った。眼下には白波が躍り、彼方には青々とした大海原が広がっていた。
 同行していた地元のメンバーが言った。
 「ここでは、自殺者も出ております」
 「可哀想だな……」
 追い詰められて、人生の断崖に立ち、自ら命を絶った人たちを思うと、伸一の胸は痛んだ。皆で冥福を祈り、題目を三唱した。
 それから、学会員が経営しているという土産物店に激励に立ち寄ったあと、中村市(後の四万十市の一部)にある幡多会館へと向かった。車が土佐清水市の中心街に入ると、道路脇に三人、五人と立って、路上を行く車を見ている人たちがいた。
 「見送ろうとしてくれている学会員だね」
 伸一は、そうした人たちに出会うたびに、車を止めてもらい、窓を開けて声をかけた。
 一度の激励が、人生の転機となることもある。一回の出会いを生涯の思い出として、広宣流布に生き抜く人もいる――そう考えると、励まさずにはいられなかったのである。
 彼は、自らを鼓舞し、使命の力走を続けた。

 ◎普仏戦争/一八七〇~七一年、プロイセンとフランスの戦争。プロイセンが勝利し、ドイツ帝国が成立した。

 引用文献
 注 キケロー著『義務について』泉井久之助訳、岩波書店

 

【「聖教新聞」2016年(平成28年)6月3日より転載】


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