浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

清新/十八〈小説「新・人間革命」〉

 

清新/十八 法悟空 内田健一郎 画 (5843)

 元藤裕司は、避難所を回るなかで、多くの人たちが亡くなっていることを知った。一週間前には共に活動に歩いた先輩も帰らぬ人となっていた。子どもを失った夫婦、親を失った子ども、夫を亡くした妻、妻を亡くした夫……。彼は、皆の苦しみの重さに、自分たち一家が助かったことを申し訳なく感じることもあった。でも、助かった命なのだから、皆のために使おうと誓った。
 避難所を後にした元藤は、地域の消防団の活動に入った。救援物資の運搬など、身を粉にして働いた。
 たくさんの同志が津波で家を流された。だが、そのなかで学会員は、避難所の清掃作業や炊き出しなど、人びとのために勇んで献身していった。人の幸福を願って行動するなかに、自分の幸せもあるという、仏法の共生の哲学が脈動していたのだ。
 こうした同志のなかには、元藤に限らず、一九七九年(昭和五十四年)一月、水沢文化会館で山本伸一と出会いを結んだ人たちが少なくなかったのである。
 「3・11」東日本大震災が発生するや、創価学会では、学会本部をはじめ、各方面・県に、直ちに「災害対策本部」を設置し、全国的な規模での救援・支援活動を開始した。
 宮城県仙台市宮城野区の東北文化会館をはじめ、被災各地の会館は避難場所となり、被災者を受け入れた。元藤の住む釜石市の釜石文化会館にも、近隣の人びとなど、四十人ほどが避難した。
 伸一は、大地震、大津波が発生し、甚大な被害であったことを知ると、胸を痛めながら、被災地の友に伝言した。
 「大切な大切な皆様方に、仏天の加護が厳然と現れるよう、妻と強盛に題目を送り続けております。
 日蓮大聖人は『妙とは蘇生の義なり』(御書九四七ページ)と御断言であります。今こそ不屈の信力、行力を奮い起こし、偉大なる仏力、法力を湧き出しながら、この苦難を、断じて乗り越えていこうではありませんか」

 

【「聖教新聞」2016年(平成28年)7月5日より転載】


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