浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

清新/二十二〈小説「新・人間革命」〉

 


清新/二十二 法悟空 内田健一郎 画 (5847)

 全国各地から復興支援に駆けつけた本部職員のなかに、九州から来た青年職員がいた。被災地の婦人は彼に、力を込めて訴えた。
 「あなたは、この惨状を目に焼き付けておいてください。そして、このなかで、私たちが何をし、どうやって復興し、五年後、十年後にどうなっていったかを、しっかりと見届け、歴史の証言者になってください」
 自ら歴史を創ろうとする人は、いかなる試練にもたじろぐことはない。苦境を舞台に、人生の壮大なドラマを創り上げていく。
 東日本大震災では、会館への被災者受け入れは、四十二会館約五千人となった。学会の災害対策本部として提供した主な支援物資は、飲料、食料品、医薬品、衣類、寝具など、約六十四万二千点。動員したボランティアは、延べ二万五百人に上った。
 日蓮大聖人は、正嘉元年(一二五七年)八月に起こった大地震、そして、大風、大飢饉、大疫病と打ち続く惨禍に心を痛め、「立正安国論」を執筆され、文応元年(一二六〇年)七月、時の事実上の最高権力者である北条時頼に提出し、諫暁されている。
 「安国論御勘由来」には、「但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(御書三五ページ)と仰せである。現実の世の不幸を目の当たりにして、その苦悩の解決のために、大聖人は一人立たれたのだ。
 立正安国(正を立て国を安んずる)の立正とは、一人ひとりの胸中に正法という生命尊厳の法理を打ち立てることである。安国とは、その帰結として、社会の繁栄、平和が築かれることである。いわば、仏法者の宗教的使命である立正は、安国の実現という社会的使命の成就によって完結するのだ。
 立正なき安国は空転の迷宮に陥り、安国なき立正は、宗教のための宗教となる。われらは、立正安国の大道を力の限り突き進む。
 東北の同志は立正安国の法理に照らし、「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(同九九八ページ)との御文を噛み締め、広宣流布への決意を新たにするのであった。

 

【「聖教新聞」2016年(平成28年)7月9日より転載】


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