浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

清新/二十八〈小説「新・人間革命」〉

 


清新/二十八 法悟空 内田健一郎 画 (5853)

 一月十四日の日曜日は激しい雪であった。山本伸一は青森文化会館にあって、県の幹部や地元メンバーと共に、朝の勤行を行った。
 勤行が終わって、しばらく懇談した。参加していた一人の婦人が、「先生!」と言って立ち上がった。
 「この青森文化会館の地元・大野支部で支部婦人部長をしている中沢美代子と申します。私たちは、わが支部に先生をお招きしようと、すべてに勝利してまいりました。支部内には、たくさんの人材がおります。ぜひ、支部の皆さんにお会いしていただきたいんです」
 伸一は、即座に答えた。
 「わかりました。今日の予定は、午後一時半に青森・秋田合同の代表幹部会があり、それから秋田県の代表と懇談会、弘前大学会のメンバーとの記念撮影がありますので、そのあと、夕方からなら可能です。皆さんの方は大丈夫ですか。会館に来ることができる方は、全員、おいでください」
 また、大野支部以外の近隣の人たちも、希望者は参加できることにした。
 伸一は、この日も、朝からフル回転の一日となった。昼には、結成された青森未来会の第一期生を激励。引き続き、彼を訪ねて来た下北のメンバー数人と懇談した。
 ――十年前の春のことである。下北半島の大湊で行われた中等部員会に集った三、四十人のメンバーの写真と、代表が綴った決意文が、伸一のもとへ郵送されてきた。
 彼は、本州最北端の下北で、中等部員が大志に燃え、喜々として信心に励んでいることが、たまらなく嬉しかった。
 すぐに、非売品である自身の『若き日の日記』第二巻に、「下北の中等部員の成長と栄光を ぼくはいつも祈ろう。此の写真の友と十年後に必ず会おう」と認めて贈った。
 さらに翌年十一月、吹雪の大地に生きる若き友を思い、自著『私の人生観』に「下北の わが中等部 嵐征け」と書き贈ったのだ。
 その代表の青年たちと、当時の中等部の担当者であった婦人が訪ねて来たのである。


【「聖教新聞」2016年(平成28年)7月16日より転載】


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