浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

〈小説「新・人間革命」〉

 

清新/三十二 法悟空 内田健一郎 画 (5857)


 山本伸一は、この日、「信心」と「実践」の関係について語っていった。
 「正しい仏道修行には、『信』と『行』の両方が、正しく備わっていなければなりません。『信』とは、御本尊を信じ抜いていくことです。『行』とは、自ら唱題に励むとともに、人にも正しい仏法を教えていく、折伏・弘教であり、現代でいえば学会活動です。
 たとえ、御本尊を信受していたとしても、信心の実践、すなわち具体的な修行をおろそかにしては、本物の信心とはいえません。
 青森から東京へ行こうとしても、ただ思っているだけでは、到着することはない。行動を起こし、実践があってこそ、目的を果たすことができる。また、せっかく行動に移し、出発したとしても、途中で止まってしまえば、東京へは着きません。
 同様に、信心も観念的で中途半端なものに終わってはならない。実践がなければ、功徳の体験を積めず、強い確信を育むこともできない。そして、何かあると縁に紛動され、退転してしまうことになりかねません。それに対して、実践の人は、いざという時に強い。
 その実践は、大聖人が『行学は信心よりをこるべく候』(御書一三六一ページ)と仰せのように、『行』も、『学』すなわち教学の研鑽も、御本尊への強い『信』から出発するものでなければならない。
 『信』なき実践は、一生懸命に動いていても、形式的なものになり、惰性化し、次第に歓喜も失われていってしまいます。
 ともあれ、純粋にして強き信心は、おのずから、果敢にして忍耐強い実践につながっていく。『我もいたし人をも教化候へ』(同)の御聖訓のごとく、自行化他にわたる実践を展開し、この東北の天地から、新しい広布の光を放っていただきたいのであります」
 風雪は、ともすれば人の行動を奪う。しかし、東北の同志は、吹雪にさっそうと胸を張り、広宣流布に戦い抜いてきた。その粘り強い実践を貫き通していくならば、愛する「みちのく」に、必ず陽光輝く清新の春は来る。

 

【「聖教新聞」2016年(平成28年)7月22日より転載】


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