浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

〈小説「新・人間革命」〉

 

清新/五十 法悟空 内田健一郎 画 (5875)


 日蓮大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。
 時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いをいだき、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。
 そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。
 それは、鎌倉時代における、「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ、苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。
 つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである。
 大聖人は叫ばれている。
 「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書七八一ページ)と。
 南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むところが、成仏へと至る仏道修行の場所となるのだ。自分の今いるところを去って、どこかにいくのではない。この荒れ狂う現実のなかで、生命力をたぎらせ、幸福を築き上げていく道を教えているのが日蓮大聖人の仏法である。
 ところで、大聖人は、念仏をはじめ、禅、律、真言の教えを厳格に検証し、批判していったが、法華経以外の諸経の意味を認めていなかったわけではない。
 それは、御書の随所で、さまざまな経典を引き、信心の在り方などを示していることからも明らかである。

 

【「聖教新聞」2016年(平成28年)8月12日より転載】


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