浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

〈小説「新・人間革命」〉

 

清新/五十四 法悟空 内田健一郎 画 (5879)

 人類は、往々にして紛糾する事態の解決策を武力に求めてきた。それが最も手っ取り早く有効な方法と考えられてきたからだ。しかし、武力の行使は、事態をますます泥沼化させ、怨念と憎悪を募らせたにすぎず、なんら問題の解決にはなり得なかった。
 一方、対話による戦争状態の打開や差別の撤廃は、人間の心を感化していく内的な生命変革の作業である。したがって、それは漸進的であり、忍耐、根気強さが求められる。
 ひとたび紛争や戦争が起こり、報復が繰り返され、凄惨な殺戮が恒常化すると、ともすれば、対話によって平和の道を開いていくことに無力さを感じ、あきらめと絶望を覚えてしまいがちである。
 実は、そこに平和への最大の関門がある。
 仏法の眼から見た時、その絶望の深淵に横たわっているのは、人間に宿る仏性を信じ切ることのできない根本的な生命の迷い、すなわち元品の無明にほかならない。世界の恒久平和の実現とは、見方を変えれば、人間の無明との対決である。つまり、究極的には人間を信じられるかどうかにかかっており、「信」か「不信」かの生命の対決といってよい。
 そこに、私たち仏法者の、平和建設への大きな使命があることを知らねばならない。
 山本伸一は、中ソ紛争や東西冷戦の時も、ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理、アメリカのキッシンジャー国務長官など各国首脳と、平和を願う仏法者として積極的に会談を重ねてきた。
 また、宗教間対話、文明間対話に力を注ぎ、二十一世紀の今日にいたるまでに、キリスト教ユダヤ教イスラム教、ヒンズー教、さらに社会主義国等の、指導者や学識者らと率直に対話し、意見を交換してきた。
 そのなかで強く実感したことは、宗教、イデオロギー、国家、民族は違っても、皆が等しく平和を希求しているという事実であり、同じ人間であるとの座標軸が定まれば、平和という図表を描くことは、決して不可能ではないということだ。

【「聖教新聞」2016年(平成28年)8月17日より転載】


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