浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

〈小説「新・人間革命」〉

 

源流 一 法悟空 内田健一郎 画 (5892)


 離陸した搭乗機が雲を突き抜けると、美しい青空が広がり、まばゆい太陽の光を浴びて雲海が白銀に輝いていた。
 山本伸一を団長とする創価学会訪印団一行は、一九七九年(昭和五十四年)の二月三日午前十一時、九州の同志らに見送られて鹿児島空港を発ち、最初の訪問地である香港へと向かった。
 伸一は、窓に目をやりながら、隣に座った妻の峯子に語った。
 「曇りの日には、地上から空を見上げても、太陽は見えない。そして、何日も何日も、雨や雪が降り、暗雲に覆われていると、いつまでも、こんな日ばかりが続くような思いがし、心も暗くなってしまいがちだ。
 しかし、雲の上には、いつも太陽が燦々と輝いている。境涯を高め、雲を突き破っていくならば、人生は常に太陽と共にある。
 また、たとえ、嵐のなかを進むような日々であっても、心に太陽をいだいて生きることができるのが信心だ。
 私は、こうして機上で太陽を仰ぐたびに、戸田先生が詠まれた『雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん』との和歌が思い起こされるんだ。
 アジアの民衆は、垂れ込める雲の下で、月の光を見たい、幸せになりたいと渇仰している。先生は、その人びとに、平和と幸福の光源である日蓮大聖人の仏法、すなわち太陽の光を送ろうと決意をされた。この歌には、先生の東洋広布への熱い情熱と信念と慈愛が感じられ、身の引き締まる思いがするんだよ」
 峯子は、頷きながら笑顔を向けて言った。
 「その戸田先生のお心を少しでも実現できる、今回のインド訪問にしたいですね」
 「そうだね。インドにも広布に進む同志が誕生した。先生は喜んでくださるだろう」
 恩師を思うと、二人の語らいは弾んだ。心は燃えた。勇気が湧いた。
 伸一は、戸田を偲びつつ、本格的な世界広布のために、いよいよ盤石な土台を築かねばならないと、固く心に期していた。

 


【「聖教新聞」2016年(平成28年)9月1日より転載】


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