浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

小説「新・人間革命」

 

源流 五十七 法悟空 内田健一郎 画 (5948)

 ナーランダー遺跡の案内者が説明した。
 「僧院では、入学一年目の学僧は、個室をもち、寝具、机が与えられます。しかし、研学が進むにつれて共同での使用となり、卒業時には、真理にのみ生きる人間として巣立っていったといいます」
 つまり、精神の鍛錬がなされ、モノなどに惑わされることなく、一心に法を求め抜く人格が確立されていったということである。
 人格の錬磨がなされなければ、いかに知識を身につけても、真に教育を受けたとはいえない。
 戸田城聖は、創価学会を「校舎なき総合大学」と表現した。仏法の法理を学び、人間の道を探究する学会の組織は、幸福と平和を創造する民衆大学といえよう。山本伸一は、この「校舎なき総合大学」は、人間教育の園として、時とともに、ますます大きな輝きを放っていくにちがいないと確信していた。
 ナーランダーの仏教遺跡を見学した一行は、パトナへの帰途、休憩所に立ち寄った。腕時計を見ると、午後五時半である。
 口ヒゲをはやした休憩所の主が、どこから来たのかと尋ねた。年は四十前後だろうか。
 伸一が、日本からであると伝えると、主は両手を広げて驚きの仕草をした。
 「それなら、ぜひ、わが家に寄っていってください。この目の前です」
 「ご厚意はありがたいのですが、夕食の時間も迫っているので、ご家族の皆さんにご迷惑をかけてしまいます」
 「いいえ、家族も大歓迎します。インドでは、お客さんと教師と母親は神様といわれているんです。ですから、こうして歓迎することは、神様を敬うことにつながるんです」
 バジパイ外相を訪ねた折にも、聞かされた話である。こうした考え方がなければ、初対面の人を自宅に招いたりはしないだろうし、あえて関わろうとはしないにちがいない。
 伸一は、宗教が人びとの精神、生活に、深く根付いていることを実感した。宗教をもつことは、生き方の哲学をもつことである。


【「聖教新聞」2016年(平成28年)11月8日より転載】


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