浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

小説「新・人間革命」

 

大山 五十六 法悟空 内田健一郎 画 (6016)

 法華経の不軽品に、「威音王仏」という名前の仏が登場する。この仏は、一人を指すのではない。最初の威音王仏の入滅後、次に現れた仏も「威音王仏」といった。そして「是くの如く次第に二万億の仏有し、皆同一の号なり」(法華経五五六ページ)と記されている。つまり「二万億の仏」が、皆、同じ「威音王仏」という名前で、長遠なる歳月、衆生を救済してきたと説かれているのだ。
 戸田城聖は、「これは、威音王仏の名を冠した『組織』『和合僧団』とはいえまいか」と鋭く洞察していた。
 個人の今世の寿命は限られている。しかし、広宣流布に戦う根本精神が師匠から弟子へと脈々と受け継がれ、一つの組織体として活動し続けるならば、それは、民衆を救済し続ける恒久的な仏の生命力をもつことになる。
 「創価学会仏」とは、初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖という師弟に連なり、広宣流布大誓願の使命に生きる同志のスクラムであり、地涌の菩薩の集いである。
 その「創価学会仏」を永遠ならしめていく要件とは何か。
 第一に、一人ひとりが「広布誓願」の生涯を生き抜くことである。人生の根本目的は広宣流布にあると深く自覚し、苦悩する人びとと同苦しながら、「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書一三六一ページ)との御聖訓を心肝に染めて進んでいくのだ。
 第二に、「師弟不二」の大道を歩み抜くことである。死身弘法を貫いた創価の師の魂を受け継ぎ、師の教えを徹して学び、自らの行動の規範とするのだ。つまり、日々、心に師をいだき、師と対話し、“師ならばどうするか”と考え、戦い生きることである。
 第三に、「異体同心」の団結である。日蓮大聖人は、「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(同一三三七ページ)と仰せである。広宣流布のために、それぞれが心を一つにし、全力を発揮していくなかにこそ、信心の血脈が流れ通うのである。


【「聖教新聞」2017年(平成29年)3月9日より転載】


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