浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

常楽41〈小説「新・人間革命」〉

 


【常楽41】

 一九七五年(昭和五十年)一月四日付の「聖教新聞」一面では、「学会本部では常住板御本尊の入仏式」と大々的に報じた。
 さらに、七七年(同五十二年)の十一月九日、日達法主が出席して、創価学会創立四十七周年を記念する法要が営まれた。学会本部を訪れた日達法主は、師弟会館の「創価学会常住御本尊」などに読経・唱題し、慶祝の意義をとどめたのである。
 ところが七八年(同五十三年)になって一部の僧らが、学会は勝手に御本尊を謹刻したと騒ぎだしたのだ。日達法主が、七八年六月の教師指導会で次のように指導したというのである。
 「学会の方で板御本尊に直したところがあります。それは私が知らなかった。しかし、あとで了解をして、こちらも承認したのだから、そういうことをつついて、お互いに喧嘩しないように」
 学会批判を繰り返す僧たちは、この発言を使って攻撃を始めた。「猊下は『知らなかった』と言われた。学会は偽本尊を作った」などと騒ぎ立てたのだ。
 あまりにも理不尽な話である。
 また、日達法主の教師指導会での発言は、“承認したのだから、つついて喧嘩してはならぬ”という趣旨であることは明白である。ところが彼らは、その指導に反して攻撃に狂奔したのである。
 もともと、紙幅の御本尊を板御本尊にすることは、宗内では数多く行われてきたことであった。副会長の泉田弘も、日達法主から、こう聞いていた。
 「御本尊は、お受けした人の宝物だから、粗末にするならともかく、大切にするためであれば、板御本尊にするのは自由だよ。他人がとやかく言うものではない」
 しかし、宗門僧たちは、衣の権威をかざして、狡猾かつ卑劣に、学会に対して圧迫を加えてきたのである。
 正義なればこそ、学会を陥れようと、障魔は猛り、烈風は常にわれらを襲う。

【「聖教新聞」2016年(平成28年)2月18日(木)より転載】


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