浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

常楽六十五/小説「新・人間革命」〉

 


【常楽六十五】法悟空 内田健一郎 画 (5753)

 十一月十二日の午前中、山本伸一岸和田市泉州会館を視察した。一九六四年(昭和三十九年)秋に設けられた、二階建ての小さな会館である。泉佐野市に泉州文化会館が完成するまでは、ここが泉州方面の活動の中心となっていた。
 人びとの関心は、新しいものに集まる。しかし、“これまで使われてきた場所はどうなっているのか”“今後は、どう活用していくことが望ましいのか”などを考え、直接、足を運び、手を尽くしていくのが、リーダーの大事な在り方である。建物に限らず、何事においても、皆の気づかぬところに目を配る努力を怠ってはなるまい。
 車中、岸和田城が見えた。この城は、伝承によれば、和泉国守護となった楠木正成の一族・和田高家が、建武元年(一三三四年)に築いたといわれる。天守閣は、江戸時代後期に落雷で焼失し、戦後、再建されたものだ。
 春には、青空にそびえる天守と苔むした石垣、桜の景観が美しいという。
 伸一は、泉州の同志に、新しき常勝の時代の幕開けとして、「泉州の歌」を作詞して贈りたいと思い、歌詞を作り始めた。
 車窓の岸和田城創価の新法城・泉州文化会館が、脳裏で二重写しになった。そして、文化会館の庭を埋め尽くした真心の菊や、会館から見た美しき月天子、歓喜に満ちた同志の笑顔が次々と浮かんだ。
 彼は、わが魂を、この地に永遠にとどめる思いで作詞を続けた。
 泉州文化会館に戻った時には、既に歌詞は出来上がっていた。
 この日は、午後一時から、「女子部の日」を祝う泉州の女子部総会が行われた。
 この総会にも、伸一は勇んで出席した。
 席上、副会長の森川一正が語った。
 「本日、山本先生は泉州会館を視察し、車の中で、『泉州の歌』を作詞してくださいました。先生から『この歌は、まず女子部の皆さんに聴いてもらおう』とのお話がありましたので、発表させていただきます」

 

【「聖教新聞」2016年(平成28年)3月18日(金)より転載】


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