〈小説「新・人間革命」〉
清新/四十七 法悟空 内田健一郎 画 (5872)
山本伸一は、ウィルソン教授との会談は極めて有意義であったと感じた。多くの意見に賛同することができた。
特に、教授が、宗教が原理主義、教条主義に陥ってしまうのを憂慮し、警鐘を発していたことに、大きな共感を覚えた。
人間も、また宗教も、社会、時代と共に生きている。そして、宗教の創始者も、その社会、その時代のなかで教えを説いてきた。
したがって、教えには、不変の法理とともに、国や地域の文化・習慣等の違い、また時代の変化によって、柔軟な対応が求められる可変的な部分とがある。
仏法は、「随方毘尼」という考え方に立っている。仏法の本義に違わない限り、各地域の文化、風俗、習慣や、時代の風習に随うべきだというものである。
それは、社会、時代の違い、変化に対応することの大切さを示すだけでなく、文化などの差異を、むしろ積極的に尊重していくことを教えているといえよう。
この「随方毘尼」という視座の欠落が、原理主義、教条主義といってよい。自分たちの宗教の教えをはじめ、文化、風俗、習慣などを、ことごとく「絶対善」であるとし、多様性や変化を受け入れようとしない在り方である。それは、結局、自分たちと異なるものを、一方的に「悪」と断じて、差別、排斥していくことになる。
「人間は宗教的信念(Conscience)をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行なうことはない」(注)とは、フランスの哲学・数学・物理学者のパスカルの鋭い洞察である。つまり、宗教は、諸刃の剣となるという認識を忘れてはなるまい。
本来、宗教は、人間の幸福のために、社会の繁栄のために、世界の平和のためにこそある。宗教の復権とは、宗教がその本来の使命を果たすことであり、それには、宗教の在り方を問い続けていく作業が必要となる。
自らの不断の改革、向上があってこそ、宗教は社会改革の偉大な力となるからだ。
小説『新・人間革命』の引用文献
注 森島恒雄著『魔女狩り』岩波書店
【「聖教新聞」2016年(平成28年)8月9日より転載】
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