浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

小説「新・人間革命」 常楽(29)

 

【常楽29】


 峯子がグラウンドを回っていると、「高島から来ました!」と叫んだ老婦人がいた。
 高島は、琵琶湖の北西側に位置する地域であり、ここでも同志は、宗門の僧や檀徒らによる学会攻撃に苦しんできた。
 寺の御講などでも、学会をやめて寺に付かなければ、葬式にも行かぬというのだ。それに屈して、退転者も出ていた。
 山本伸一や峯子のもとへも、その様子と決意を記した手紙が数多く届いていた。
 峯子は、老婦人に微笑みを返し、彼女の手を、しっかりと握りながら語った。
 「高島の皆さんからは、お手紙もたくさんいただいております。皆さんが、どれほど辛く、悔しい思いをされてきたか、会長もよく存じております。どうか、何があっても頑張り抜いてください。必ず将来、何が正義かは明らかになります。私も、真剣に、お題目を送らせていただきます」
 名もなき母たちが、涙をこらえ、衣の権威の暴虐に耐えながら、名もなき城を必死に守り、幸の名城を築こうと戦っていたのだ。
 伸一は、そうした健気な母たちに、人生の応援歌を贈りたいとの思いで、「母の曲」を作詞したのである。
    
 山本伸一が、婦人たちによる「母の曲」の合唱を初めて聴いたのは、十月二十三日午後、東京・信濃町創価文化会館内にある広宣会館で行われた、婦人部代表幹部会でのことであった。明るく、希望に満ち、はつらつとした「白ゆり合唱団」の歌声は、常楽我浄の春風を思わせた。
 彼は、この日、太陽の婦人部をリードする幹部の在り方について指針を示した。
 ――「豊かな人間性と強い確信で後輩をリードしゆく聡明な幹部に」「人生の逆境には勇気をもって立ち向かおう。それは、結局、自分の弱さに打ち勝つことから始まる」「愚痴の人生に成長はない」
 母という太陽がある限り、風雪の暗夜があろうと、希望の夜明けは必ず来る。


【「聖教新聞」2016年(平成28年)2月4日(木)より転載】


☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡