浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

清新/二〈小説「新・人間革命」〉

 


清新/二 法悟空 内田健一郎 画 (5827)


 この一九七九年(昭和五十四年)も、山本伸一の果敢な執筆活動はとどまることを知らなかった。
 月刊婦人雑誌の一月号では、『婦人倶楽部』(講談社)に「私が出会った素晴らしき女性たち」を、『婦人生活』(婦人生活社)に「若い母へ贈る」を、『主婦の友』(主婦の友社)に「中国印象記」を、『主婦と生活』(主婦と生活社)に「信じ合える親子であるために」を寄稿。また、『週刊東洋経済』(東洋経済新報社)の新春特大号の「新春随想」では、「心の容量」と題して、仏法で説く人間生命の尊さについて言及していった。
 一月九日、伸一の姿は、厳冬の東北・宮城県仙台市の東北平和会館(後の青葉平和会館)にあった。
 この厳寒の季節に、彼が東北へ行くことについては、妻の峯子も、首脳幹部たちも憂慮していた。体調は決して良好とはいえなかったからだ。しかし、寒冷の地には、最も寒い季節に行かなければ、人びとの苦労も、気持ちもわからない。また、宗門の問題で辛い思いをしてきた人たちと、より早く会って、励まさなければならないと、彼は思っていた。
 広宣流布の熾烈な攻防戦においては、体を張って戦わなければならない時もある。
 新年の出発にあたり、一月五日に新人事が発表され、これまで東北総合長を務めてきた副会長の青田進が東海道総合長になった。そして、東北長であった利根角治が東北本部長に、さらに関東長を務めてきた山中暉男が東北長に就任したのである。
 九日、伸一は、東北平和会館で代表との懇親会や宮城県臨時代表幹部会に出席。
 十日には、同県の新年記念幹部会に臨んだ。
 席上、宮城県に「町村地域指導長」制の設置が決定をみた。これは、地域こそが広宣流布の本舞台であるとの認識に立ち、各町村の特色に合わせて、広布の運動を展開していくための態勢である。一人ひとりが生活の場である地域に深く根差してこそ、広宣流布の堅固な基盤をつくり上げることができる。

 

【「聖教新聞」2016年(平成28年)6月15日より転載】


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