浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

力走 五 〈小説「新・人間革命」〉

 


【力走 五 】法悟空 内田健一郎 画 (5762)

 記念提言の最後に、山本伸一は、十四世紀から十六世紀にヨーロッパで起こったルネサンス運動について論じた。
 ――ルネサンスは、一切に君臨していた絶対神を個人の内面へおろした、画期的な時代の流れであったといってよい。しかし、教会を中心とした中世的な世界観が否定され、人間性の解放が叫ばれながらも、そのあとにきたものは、個人の尊厳とは異なる外側の権威の絶対化であった。進歩信仰、制度信仰、資本信仰、科学信仰、核信仰など、その流れは、数百年にわたったのである。
 だが、今や、そのひずみは際限に達し、これまでの価値観が急速に崩れ、人間の内面、生き方に大きな空白が生じているのだ。
 「私は、これからの理念は、人びとの心の奥に根をおろした宗教から発するものでなければならないと信じております。外なる権威の絶対化から、一個の人間の内なる変革を第一義とすべき時代に入ってきている。それは、地道ではあるが、第二次ルネサンスともいうべき、時代の趨勢とならざるをえないと考えるのであります。
 その主役は、一人ひとりの庶民であり、その戦いは、自己自身の人生の転換から出発すべきであります」
 そして伸一は、それを可能にする道は、日蓮大聖人の仏法にあることを示して、結びとしたのである。
 彼は、二十一世紀のために、仏法の法理を社会へ、世界へと開き、人類の新たな活路を開かなければならないと、固く、強く、決意していた。
 日蓮大聖人は「立正安国論」で「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書三一ページ)と仰せである。「四表の静謐」とは社会、世界の平和と繁栄を意味する。
 宗教者が人類的課題に眼を閉ざし、社会に背を向けるならば、宗教の根本的な使命である「救済」の放棄となる。荒れ狂う現実社会に飛び込み、人びとを苦悩から解放するために戦ってこそ、真の仏法者なのだ。

 

【「聖教新聞」2016年(平成28年)3月29日より転載】


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