力走 十九〈小説「新・人間革命」〉
【力走 十九】 法悟空 内田健一郎 画 (5776)
高丘秀一郎の右目が、突然、かすみはじめたのは、前年の一九七七年(昭和五十二年)十月、柿の実が赤く色づいていた日であった。翌日には、ほとんど見えなくなった。
眼科で二週間、治療を受けたが、効果はなく、大学病院の脳神経外科を紹介された。その時には、既に右目から光は失せていた。
脳神経外科では、視神経炎と診断されたが、原因は不明であるという。
年が明けた三月、左目にも異変を感じた。大学病院に行くと、すぐに入院するように言われた。四時間おきに注射と飲み薬が投与され、副作用で体全体が腫れあがった。
毎夜、眠りにつく時、“このまま永遠に暗闇の世界に入ってしまうのではないか”と、不安に苛まれる。朝、目が覚め、光を感じることができると、ほっとする――その繰り返しであった。
しばらくして、医師は高丘に告げた。
「率直に申し上げますが、今の医療ではなすすべがありません。悪化はしても、これ以上、良くなることはないと思います」
彼は、“もはや信心しかない。本気になって信心に励んでみよう”と腹を決めた。
それまでは、“頑張って信心してきたのに、どうしてこうなるのだ!”という思いがあった。しかし、新たな決意で唱題に励むと、心が変わっていくのを感じた。
“俺はこれまで、教学を学んできた。御書に照らして見れば、過去世で、悪業の限りを尽くしてきたにちがいない。それなのに大した信心もしないで、御本尊が悪いかのように考えていた。傲慢だったのだ。
日蓮大聖人は、「諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし」(御書一四三九ページ)と仰せになっている。信心によって、今生で罪障消滅できるとの御断言だ。なんとありがたい仏法なんだ!”
そう思うと、御本尊への深い感謝の念が湧いてくるのだ。
感謝の心は、歓喜をもたらし、その生命の躍動が、大生命力を涌現させる。
【「聖教新聞」2016年(平成28年)4月15日より転載】
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