冬萌/今日の俳句 ≪第2397号≫
≪2017年(平成29年)1月30日(月)≫(旧暦1/3)
冬萌に日を追ひさがす米一升
加藤知世子
冬萌に群れて白鶏汚れをり
根岸善雄
冬萌や小鳥の嘴に空気穴
宮坂静生
冬萌や色深くして能登瓦
岸田稚魚
山の木の中のこぶしの冬芽かな
星野麥丘人
※ 冬萌・冬木の芽・冬芽
草の芽、木の芽などが冬にわずかに萌え出ること。また、その芽をもいう。「冬芽」は冬に休眠している木の芽。
→下萌(春)
【「(合本)俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】
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※☆*今週のことば*☆※
我らの伝統に2月!
最前線の心通う対話から
壁を破るパワーが。
祈りと勇気の拡大で
「今生人界の思出」を!
2017年1月30日
※☆*寸 鉄*☆※
「日輪と星との光くらべのごとし」御書。混迷の今こそ地域に希望の哲学を
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偉大な弟子をもつことは最高に嬉しい―戸田先生池田門下の本領発揮の時
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「目標を明確に」が勝利の一歩。決意語らう協議会から団結固く広布へ前進
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外国人労働者、100万人超と。差異から学び合う心を。国際社会築く契機に
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上司と部下の会話減少―パワハラの温床と。まず挨拶。職場も小事が大事
【聖教新聞:2017年(平成29年)1月30日(月)付】
※☆*名字の言*☆※
四国の高知と東北の秋田。距離は遠く離れているが、広布史をたどると一つのルーツに行き着く。「蒲田支部」だ
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「二月闘争」から1年後の1953年(昭和28年)2月、蒲田支部のメンバーの対話によって、四国初の学会員が高知に誕生。当初、蒲田支部に所属していた高知は、その後、大阪支部に編成された。56年(同31年)の「大阪の戦い」にも高知の友は勇んで参加した
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一方の秋田は草創期、蒲田支部矢口地区に所属。「二月闘争」から2年後の54年(同29年)に、約800世帯の陣容で秋田大班が結成され、56年には秋田支部が誕生した。翌年、全国3位の弘教を達成し、“広宣流布の「日本海の雄」ここにあり”と、全国の同志を驚嘆させた
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この事実こそ、池田先生の「二月闘争」が、恩師・戸田先生の誓願であった75万世帯達成への突破口となった証明である。御書に「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」(1046ページ)とある通り、「201世帯の弘教」という限界突破の拡大は、蒲田支部から全国に飛び火し、「壁を破る」学会の伝統となった
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「二月闘争」は、一人から一人へ、訪問激励によって友の心を動かす“決意の共鳴”から始まった。時代が変わろうとも、この「勝利の方程式」は不変である。(芯)
【聖教新聞:2017年(平成29年)1月30日(月)付】
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