小説「新・人間革命」雌伏
雌伏 十五 法悟空 内田健一郎 画 (6043)
昼前から降りだした雨は、次第に雨脚が強くなっていた。
山本伸一は、佐久市の功労者宅を訪問するため、長野研修道場を出発した。
雨のなか、翌日の記念撮影のために、青年たちが県道沿いの空き地で草刈りをしていた。
伸一は、同行していた幹部に言った。
「皆が風邪をひかないように、作業が終わったら、研修道場の風呂を使えるようにしてください。泥も汗も流して温まってもらおう」
大事な“創価の宝”の青年たちである。泥まみれになって作業をしてもらっているだけでも申し訳ないのに、そのうえ風邪などひかせては絶対にならないとの強い思いがあった。
研修道場を発って五十分ほどで、佐久市の石塚勝夫の家に着いた。石塚は四十過ぎの壮年で、佐久本部の本部長をしていた。
彼は、感無量の面持ちで、「先生! わが家においでくださり、ありがとうございます」と言って、伸一の手を握り締めた。
石塚の父親は背広を着て、母親は着物に羽織姿で、丁重に一行を迎えた。
伸一は、研修道場に役員として来ていた石塚と語り合う機会があった。その時、彼が個人会館を提供してくれていると聞き、御礼に伺おうと思ったのである。
広宣流布を進めるうえで、個人会場が担う役割は大きい。各地域に大きな会館が造られても、支部や地区の日常活動の拠点や座談会場等となるのは、個人会場をはじめ、会員の皆さんのお宅である。そこは、現代における荘厳なる仏法の会座となる。
伸一たちは、石塚の自宅の居間に通された。懇談が始まった。彼の父親は、ちょうど、今日が八十歳の誕生日であるという。
伸一は、「お祝いに一句、お贈りしましょう」と言うと、壁に掛けてあった日めくりカレンダーに視線を注いだ。
「そこに、お書きしてよろしいでしょうか」
カレンダーを外してもらい、老夫妻の健康と長寿を祈りつつ、日付の横にこう認めた。
「あな嬉し 八十翁の 金の顔」
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