浩洋子の四季

古季語を探して、名句・秀句を紹介します。

常楽60〈小説「新・人間革命」〉

 


【常楽60】 法悟空 内田健一郎 画 (5748)

 永井明子の一家は、一九五九年(昭和三十四年)二月に入会した。信心を始めて六年半、タイル施工業を営む夫の忠が交通事故に遭遇した。九死に一生を得たものの、高熱と極度の頭痛に苦しみ、入院生活が続いた。
 忠は、自分が社会復帰できなかった時のために、病床で明子に、商売の基本を徹底して教えた。十カ月後、彼は退院し、仕事を始めたが、その後も入退院を繰り返した。
 明子は、夫の仕事を手伝うために、車の免許を取り、作業現場にも顔を出した。また、支部婦人部長としても奔走した。
 しかし、宿命の嵐は、容赦なかった。
 六六年(同四十一年)師走、忠は他界した。中学三年の長男を頭に三人の子を残して。
 明子は、途方に暮れた。でも、負けなかった。敢然と頭を上げた。
 “勝たなあかん! 子どもたちのためにも、仏法の偉大さを証明するためにも。学会に、絶対に泥を塗ってはならんのや”
 明子は、夫の会社を受け継いだ。
 タイル施工業は、圧倒的に男性中心の社会であった。周囲は「やめるんとちゃうんか」とささやき合った。従業員が数人の小さな会社ではあったが、彼女は社長として、必死に切り盛りした。女性が生き抜くには、生易しい世界ではなかった。懸命に唱題を重ね、一日一日を乗り越えていった。
 必死の祈りは勇気となり、知恵となる。
 夫が他界した翌年の春、広宣流布の途上で亡くなった同志の春季合同慰霊祭が、東京・八王子で執り行われた。
 明子は、この慰霊祭に出席した。
 その折、山本伸一は、彼女と言葉を交わし、力を込めて励ました。
 「ご主人を亡くして、お子さんを抱え、さぞ辛いでしょう。苦しいでしょう。
 でも、あなたが悲しめば、ご主人も悲しみます。反対に、あなたが元気に、はつらつと学会活動に励み、歓喜しているならば、その生命は、ご主人にも伝わっていきます。それが仏法の原理なんです」

 

【「聖教新聞」2016年(平成28年)3月12日より転載】


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