小説「新・人間革命」雌伏
雌伏 八 法悟空 内田健一郎 画 (6036)
戸田城聖の小説『人間革命』では、主人公「巌さん」の人間革命の軌跡を主軸に、広宣流布に一人立った、師である「牧田城三郎」(牧口常三郎の仮名)の死身弘法の実践が描かれていく。
戸田は、一九五四年(昭和二十九年)の十一月、初代会長・牧口常三郎の十一回忌法要で、獄中にあって大恩ある牧口の死を知った日のことに触れ、こう語った。
「あれほど悲しいことは、私の一生涯になかった。そのとき、私は『よし、いまにみよ! 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう』と決心した」
「巌窟王」とは、アレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』の黒岩涙香による邦訳名である。
――陰謀によって孤島の牢獄シャトー・ディフにとらえられた船員の青年エドモン・ダンテスは、獄中で老神父からさまざまな知識を授かり、モンテクリスト島に隠された財宝の在りかも教わる。十四年の幽閉生活の後に脱獄に成功した彼は、その巨額の富を手にし、モンテ・クリスト伯と名乗り、パリの社交界に現れ、自分を陥れた者たちへの復讐を図るとともに、善良な恩人たちへの恩返しを果たすという物語である。
戸田は、この「巌窟王」のごとく臥薪嘗胆し、軍部政府の弾圧で殉教した師の敵を討つことを深く心に誓ったのだ。その復讐とは、恩師の正義を証明することであった。そして牧口を死にいたらしめ、戦争によって多くの人びとの命をも奪い、苦悩の辛酸をなめさせた権力の魔性との対決であった。民衆の幸福と人類の平和を実現することであった。
ゆえに戸田は、小説『人間革命』の主人公の名を、「巌窟王」をもじって「巌九十翁」とし、全精魂を注いで、牧口の正義と偉大さを書き残していったのである。
師の正義を宣揚し抜いていくことこそ、弟子に課せられた責務にほかならない。
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八重桜/今日の俳句 ≪第2457号≫
≪2017年(平成29年)3月31日(金)≫(旧暦3/4)
沈みつつふくらむ夕陽八重櫻 野口香葉
海神に日輪淡し八重ざくら 斎藤梅子
八重桜逢ふ魔が刻を歩みけり 柴田白葉女
夜がくれば夜の冷えおくる八重桜 能村登四郎
ゆるやかに四肢緩みゆく八重桜 西田もとつぐ
※ 八重桜・牡丹桜・里桜
栽培品種であるサトザクラのこと。牡丹の艶麗に通うのでボタンサクラともいう。新葉は多少赤褐色を帯び、芒(のげ)状の鋸歯がある。四月中旬以降、葉に先立ち、あるいは葉と同時に開花し、花は八重咲き大型で、垂れ下がる。淡紅色で濃淡があり、白色に近いものから、黄色みをおびた緑色のものまであって、美麗である。ほとんどが実を結ばない。花期はソメイヨシノに比し長い。東京新宿御苑にはこの桜が多い。奈良の八重桜は奈良県の郷土の花である。
【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】
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※☆*わが友に贈る*☆※
人生は悩みとの戦いだ!
何でも相談できる
信心の先輩を持とう!
共に祈り 動けば
必ず道は開ける!
2017年3月31日
※☆*寸 鉄*☆※
紛争など人類の難局の打破には会長の慧眼が必要―博士。後継よ学び語れ
◇
「従藍而青」が創価教育の特色だ―牧口先生。先頭走る教育本部が発足15年
◇
『新・人間革命』とともに日々前進。生涯広布の為、同志の為に!共戦の道を
◇
口だけでは駄目だ。肝腎なのはやることだ―魯迅幹部率先の拡大で範示せ
◇
各地で桜が開花。我らも対話の花を満開に!弾む生命で颯爽と友のもとへ
※☆*名字の言*※
紫・白・桃色など、鮮やかな色で見る人を引きつける菖蒲の花。武道を尊ぶ志を表す“尚武”と同じ読みであることから、江戸時代、武士の間で広まり、特別な思いをもって観賞されたという。3日間ほどの開花のために1年間、手塩にかけて育てられる
▼
1973年(昭和48年)3月、東京・目黒の同志は、池田先生との記念撮影会の折、その花を“勝負”になぞらえ、会場に届けた。本来は初夏に咲く花。日本各地を訪ね、見つけ出した友の真心に、師は深い感謝を寄せ、人生勝利への強い心をたたえた
▼
花を調達し、生けた婦人部員に先日、話を聞いた。第1次宗門事件の嵐が吹き荒れた79年(昭和54年)3月、婦人は生涯不退の誓いを込め、再び学会本部に菖蒲の花を届け、正義の対話に奔走した
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以来、毎年3月に“勝負の花”を求めては、師弟共戦の歴史を刻んだ。その情熱によって、地域に揺るぎない人材のスクラムが築かれた。91歳を迎えた婦人は今春、40回目の“師弟の菖蒲”に込めた決意のまま、さっそうと友情の語らいを広げる
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菖蒲の特徴は一つの花茎から2度、花が咲くこと。がくの中のつぼみが育ち、一番花の開花に続いて、二番花が力強く開く。広布誓願の大輪もまた、弟子が師に続いて、不二の心で進む中に輝いていく。(開)
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小説「新・人間革命」雌伏
雌伏 七 法悟空 内田健一郎 画 (6035)
八月二十日の午後、山本伸一は、東京・台東文化会館を訪問したあと、長野県・軽井沢町の長野研修道場へ向かった。
軽井沢は、戸田城聖が逝去前年の一九五七年(昭和三十二年)八月に訪れ、最後の夏を過ごした地である。滞在中、戸田は、伸一と森川一正を招き、鬼押出に車を走らせて、奇岩の連なる景観を見せ、ホテルで共に食事をした。大阪事件で不当逮捕された伸一を、ねぎらいたかったのである。
食事をしながら、師弟の語らいは弾み、話題は、戸田が「妙悟空」のペンネームで執筆した小説『人間革命』に及んだ。この小説は、五一年(同二十六年)四月の「聖教新聞」の創刊号から連載されてきたもので、この五七年(同三十二年)七月に単行本として発刊されたばかりであった。
小説の主人公「巌さん」は、印刷工場に勤め、八軒長屋に住む市井の壮年である。
その「巌さん」が、「牧田城三郎」(牧口常三郎の仮名。後の出版では本名に改める)の折伏を受け、日蓮大聖人の仏法を実践するようになり、信仰の実証を示し、やがて印刷会社の社長となる。さらに学会の理事長に就任し、牧田会長を支えていくのだ。
しかし、戦時中の軍部政府の弾圧で、会長の「牧田先生」も、牧田を師と慕う「巌さん」も、共に投獄されてしまう。「巌さん」は、獄中にあって唱題を重ね、法華経を読み進むなかで、自分は、法華経で説かれた虚空会の会座にいた地涌の菩薩であることを悟達する。そして、生涯、この法華経を弘めていこうと決意するところで、小説は終わる。
小説の前半、「巌さん」は、戸田城聖とは全く異なる架空の人物として描かれていくが、後半の「巌さん」の体験は、戸田自身の体験となる。特に逮捕・投獄され、広宣流布の使命を自覚する獄中の悟達は、現実そのものの描写であり、創価学会の精神の原点が浮き彫りにされている。
「おれは地涌の菩薩ぞ!」――この「巌さん」の叫びこそ、創価の確信の源である。
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小説「新・人間革命」雌伏
雌伏 七 法悟空 内田健一郎 画 (6035)
八月二十日の午後、山本伸一は、東京・台東文化会館を訪問したあと、長野県・軽井沢町の長野研修道場へ向かった。
軽井沢は、戸田城聖が逝去前年の一九五七年(昭和三十二年)八月に訪れ、最後の夏を過ごした地である。滞在中、戸田は、伸一と森川一正を招き、鬼押出に車を走らせて、奇岩の連なる景観を見せ、ホテルで共に食事をした。大阪事件で不当逮捕された伸一を、ねぎらいたかったのである。
食事をしながら、師弟の語らいは弾み、話題は、戸田が「妙悟空」のペンネームで執筆した小説『人間革命』に及んだ。この小説は、五一年(同二十六年)四月の「聖教新聞」の創刊号から連載されてきたもので、この五七年(同三十二年)七月に単行本として発刊されたばかりであった。
小説の主人公「巌さん」は、印刷工場に勤め、八軒長屋に住む市井の壮年である。
その「巌さん」が、「牧田城三郎」(牧口常三郎の仮名。後の出版では本名に改める)の折伏を受け、日蓮大聖人の仏法を実践するようになり、信仰の実証を示し、やがて印刷会社の社長となる。さらに学会の理事長に就任し、牧田会長を支えていくのだ。
しかし、戦時中の軍部政府の弾圧で、会長の「牧田先生」も、牧田を師と慕う「巌さん」も、共に投獄されてしまう。「巌さん」は、獄中にあって唱題を重ね、法華経を読み進むなかで、自分は、法華経で説かれた虚空会の会座にいた地涌の菩薩であることを悟達する。そして、生涯、この法華経を弘めていこうと決意するところで、小説は終わる。
小説の前半、「巌さん」は、戸田城聖とは全く異なる架空の人物として描かれていくが、後半の「巌さん」の体験は、戸田自身の体験となる。特に逮捕・投獄され、広宣流布の使命を自覚する獄中の悟達は、現実そのものの描写であり、創価学会の精神の原点が浮き彫りにされている。
「おれは地涌の菩薩ぞ!」――この「巌さん」の叫びこそ、創価の確信の源である。
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枝垂桜/今日の俳句 ≪第2456号≫
≪2017年(平成29年)3月30日(木)≫(旧暦3/3)
高麗の里枝垂桜が紅潮す
細見綾子
桜茶に摘む枝垂花介護士と
品川鈴子
一本の枝垂桜に墓のかず
飯田龍太
大枝垂桜の中の大虚かな
三村純也
枝垂桜地に触るる枝は舞ふごとし
古賀まり子
※ 枝垂桜・糸桜・紅枝垂。
エドヒガンから生まれた園芸品種。三月下旬から咲き始め、淡紅色の一重花。高さ20メートル、幹の直径1メートルの大きいものがある。樹齢は長く、枝垂れる姿は優美であるので、社寺や庭園に植えられ、とくに京都の祇園、平安神宮の紅枝垂は巨樹銘木が多く、京都の「郷土の花」になっている。
【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】
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※☆*わが友に贈る*☆※
新天地で出発する友よ
信頼を結ぶ第一歩は
「さわやかな挨拶」だ。
誠実と笑顔の応対で
周囲を照らす太陽に!
2017年3月30日
※☆*寸 鉄*☆※
御書を拝して境涯をもう一歩開くのだ―戸田先生。信行学の利剣で突破口を
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中国方面「師弟正義の日」開拓に燃え立つ人は全員青年!幸薫る対話へ先駆
◇
訪問激励と会合での話、幹部は8対2を目標に。徹すれば人材が必ず育つ
◇
文明の一つの尺度はよき女性の勢力に―詩人。創価の婦女の連帯こそ希望
◇
交通事故・死傷、小学1年が多し。左右の確認等、新入生への注意を家庭から
※☆*名字の言*※
小欄での紹介も恒例となった「太陽会万葉集」。都内のある地域の太陽会(平日の昼間に活動できる壮年の集い)の友が年1回、自身の思いを歌に詠み、それを編さんしたものだ。今年の第11集には94人の作品が収められている
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「賜りし 白檀の香 命に滲む 断じて勝つと 師匠に誓う」とは、昨年、重い病気に襲われた79歳の友。闘病生活は今も続くが、心は負けない。「題目第一で前進します。歌に込めた決意は、どんな病も壊せません」
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今回の最高齢の98歳は「九十八 耐えてしのいだ 幾山河 目指す峠は 光り輝く」と。旧習深い離島の“信心の一粒種”で、弘教は150世帯に及ぶ。さらに、師弟の道を貫く89歳は「歳重ね 生命燃やして 師と共に」、青年の心で進む82歳は「未来児と 共に輝く 壮年部」と詠んだ
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「歌う」には「うったう、訴える」意味がある。作家の石牟礼道子さんは、漢字学の大家の見解を通し、「人間の力では及ばないものに訴える、究極的には訴えるしかない、歌うしかないという、そういう魂の呼びかけとして言葉が汲み上げられたんではないか」と(『蘇生した魂をのせて』河出書房新社)
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太陽会の万葉集から聞こえる「魂の呼びかけ」――多くの人に伝えたい「宝の言葉」である。(川)
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小説「新・人間革命」雌伏
雌伏 六 法悟空 内田健一郎 画 (6034)
八月六日から八日まで、法主・日達の通夜、本葬が営まれ、山本伸一をはじめ、学会の首脳、代表も参列した。
この夏、世界四十一カ国三地域のSGIメンバー千三百人が来日していた。伸一は、十三日に神奈川文化会館で開かれた国際親善友好の集いや、十五日に行われた東京戸田記念講堂での世界平和祈願勤行会に、SGI会長として出席し、メンバーを激励した。
彼は、いかなる状況下にあろうが、広宣流布のために奮闘し、世界各地から求道の心を燃やして来日した健気な同志を、励まさずにおくことなど、絶対にできなかった。
日蓮大聖人は仰せである。
「法華経の一偈一句をも説かん者をば『当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし』の道理なれば仏の如く互に敬うべし」(御書一三八三ページ)と。しかも大聖人は、この「当起遠迎、当如敬仏」(法華経六七七ページ)の文を「最上第一の相伝」(御書七八一ページ)とされたのである。
根本とすべきは、大聖人の御指導である。
伸一の胸中には、いよいよ世界広布の新時代が到来したとの思いが、日々強まっていた。
国際親善友好の集いで伸一は訴えた。
「世界から千三百人ものメンバーが、大聖人の仏法を求めて来日したこと自体、仏法史上、画期的な出来事です。皆さんは、世界広宣流布の未聞の道を開いている先駆者であり、歴史の創造者であるとの自覚を忘れないでください。
それぞれの国へ帰れば、メンバーはまだ少なく、広大な地域に、信心しているのは自分しかいないということも多いにちがいない。しかし、大事なのは一人立つことです。
日蓮大聖人は、お一人から、広宣流布の波を起こされた。戦後の学会の再建も、戸田城聖先生が、ただ一人立たれたことから始まっています。それが、仏法者の精神であり、学会精神です。
今こそ、師子となって、一人立とうではありませんか! 私も立ちます!」
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山桜/今日の俳句 ≪第2455号≫
≪2017年(平成29年)3月29日(水)≫(旧暦3/2)
山桜輪吊りにまはし売り軍手
加倉井秋を
鳥影の空はつめたし山桜
原田種茅
殺生の世を常として山桜
鈴木太郎
皆川盤水
山桜の家で児を産み銅色
たむらちせい
※ 山桜
関東より西部の山地に自生し、また広く栽植されている落葉高木で、春、葉と同時に淡紅白色の花をつける。古来詩歌に詠まれてきた桜はこの山桜が多い。古くから桜の名所として知られる奈良県吉野山の桜は現在でもほとんどが山桜であり、吉野の桜を移植したといわれる京都市の嵐山の桜も山桜が多い。
【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】
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※☆*わが友に贈る*☆※
後継の友を育む
未来部担当者に感謝!
人の何倍も忙しい毎日を
その万倍の喜びと福徳で
輝かせていく長者なり!
2017年3月29日
※☆*寸 鉄*☆※
学会の根本は団結の二字―恩師。幹部は最前線に飛び込み同志の心を結べ
◇
東京「目黒の日」。創価勝利の電源地の誇りで前進!執念の対話で活路を
◇
「神の護ると申すも人の心つよきによる」御書。強盛な祈りで諸天動かせ
◇
認知症が急増。抑制の鍵は軽度患者の早期発見・治療。地域の絆が重要に
◇
季節の変わり目。寒暖差に注意を。「一枚多く羽織る」など賢く健康第一で
※☆*名字の言*※
落語家の林家木久扇さんが喉頭がんになった時のこと。しゃべる商売なのに声が出ない。弱気にならないように“体から出ていけ!”と毎日、がんを叱りつけた。それを聞いた医師からは「とてもいいことだ」と褒められたという(2016年9月9日付「河北新報」)
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不安や臆病といった後ろ向きの気持ち。それとは逆の、確信や負けじ魂――これらは共に心の中にある。“もはや、これまでか”という難局を乗り切る力は、外から借りるものではなく、自身の心の中から取り出すものである
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生花店を営み、フラワーアーティストとして活躍する宮城の壮年。14年前の入会当初、先輩から「“願いとしてかなわざるはなし”の信心だよ」と言われ、夢を書き出した。「花で世界に通用する実力を付け、広布のお役に立つ」
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だが事故で大けが、事業の挫折、子どもの大病……間断なく続く試練に周囲も心を痛めた。それでも彼は毎回の本部幹部会(中継行事)の壇上を飾る装花を見ては、自分を奮い立たせた
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不屈の年月を経た今月、彼の手による装花が「新生・東北総会」の舞台を彩り、SGIの友を迎えた。踏まれても踏まれても、なお立ち上がる負けじ魂の人から、幸福の種子は奪えない。厳しい冬を耐え、必ず、爛漫の春を勝ち飾る。(城)
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小説「新・人間革命」雌伏
雌伏 五 法悟空 内田健一郎 画 (6033)
山本伸一が法華講総講頭、学会の会長を辞任することで、若手僧らによる学会攻撃はピリオドが打たれることになっていた。
五月一日には、宗務院から「院達」として、次のような事項が徹底されている。
「御講等に於ては、御書による教義以外の説法は固く禁ずる。従来、しばしばこれについての通達あるにもかかわらず、乱れが見られたが自今以後は厳しく自誡せられたい」
「創価学会員に対しては、自分からの意志・希望によって檀徒となることを申出た者は受け入れて差支えないが、それ以外は一切の働きかけを固く禁止する」
「院達」を無視して学会誹謗を続ける僧には、法主の日達も叱責することがあった。ところが、若手僧の寺の多くが、御講の席などで、学会への中傷、攻撃を繰り返していたのである。また、学会員を檀徒にする動きも、むしろ活発化していた。
もはや彼らは、宗務院の言うことも、さらには、法主の言うことさえも、耳を傾けようとはしなくなっていたのだ。宗内は、次第に混乱の様相を見せ始めていたのである。
七月二十二日午前六時過ぎのことであった。伸一のもとに日達法主が亡くなったとの連絡が入った。日達は、十七日、福岡の寺院の法要に出席し、十八日に総本山に戻るが、翌十九日朝、体調が優れず、富士宮市内の病院に入院した。そして、二十二日午前五時五分、心筋梗塞のため息を引き取ったのである。七十七歳であった。
伸一は、直ちに神奈川文化会館から弔問に向かった。午前九時前には総本山に到着。懇ろに唱題、焼香し、冥福を祈った。
この日夜から、大客殿で仮通夜が営まれ、席上、重役である僧から、「重大発表」があった。それは、総監の阿部信雄が、前年四月、日達から内々に相承を受けており、彼が第六十七世の法主になることが決まったというものである。この時も、広宣流布のために和合を願い、宗門を守っていくというのが、学会の姿勢であった。
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