師走/今日の俳句 ≪第1972号≫
≪2015年(平成27年)12月2日(水)≫師走(旧暦10/21)
くれなゐの実のことごとく師走かな
飯田龍太
人の背に師走の家鴨首のべぬ
原コウ子
うすうすと紺のぼりたる師走空
飯田龍太
日暮里へ師走のみちのつゞきけり
久保田万太郎
メモ書きを忘れて走る師走かな
鏡山千恵子
※ 師走・極月
日本では、旧暦12月を師走、師馳(しわす、しはす)または極月(ごくげつ、ごくづき)と呼び、現在では師走は、新暦12月の別名としても用いられる。
英語での月名、December(ディセンバー)は、「10番目の月」の意味で、ラテン語で「第10の」という意味の「decem」の語に由来している。 実際の月の番号とずれているのは、紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で(そのため年末の2月は日数が少ない)、3月から数えて10番目という意味である。
グレゴリオ暦の12月1日はその年の9月1日と同じ曜日になる(→365日)。
明治時代に日本が太陰暦から太陽暦に変更した際に、政府が年末の給料を削減するために12月の日数を2日とした(明治6年12月3日を明治7年1月1日とした)。
【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】
※☆*わが友に贈る*※
信頼の構築は
さわやかな挨拶から!
生命力豊かに
自ら声を掛けよう。
一日を清々しく出発!
12月2日
※☆*寸 鉄*☆※
小説『人間革命』執筆開始の日。師弟共戦の歴史胸に自らの変革と大成長を
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文芸部の日。言論の闘士万歳!正義のペン振るい人間主義の哲理を社会へ
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希望は決して私から離れないー大統領(マンデラ)。青年は試練の時こそ頭(こうべ)を上げよ!
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日中韓、感染症対策等で連携を強化と。生命守る行動に国境なし。万全に
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交通事故、12月が最多。日没前後に多く。早めのライト点灯等、警戒強く
【聖教新聞:2015年(平成27年)12月2日(水)付】
※☆*名字の言*※
青雲の志を抱く青年が単身、北海道から東京に赴く際、母は手縫いのアツシのはんてんを贈った。「どんな苦しいことがあっても、これを着て働けば、何でもできるよ」と励ましの言葉を添えて
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戸田城聖第2代会長が故郷の厚田から上京する日の出来事。戸田会長はアツシを生涯の宝とし、逆境に遭うほどに、今こそ母の慈愛に報いる時と自身を鼓舞したという
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誰かの深い愛情に包まれ、“私は独りじゃない”と感じる時、心に希望の灯が宿り、人生を大きく開いていける。ある壮年に、今も胸を熱くする少年時代の運動会の思い出がある
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父がおらず、母は日曜も仕事のため、運動会当日、少年は一人で登校した。徒競走でスタートを待つ少年に、一般応援席から手を振る人たちがいる。座談会などでいつも励ましてくれる地区の同志だった。手にする模造紙には「○○君、がんばれ!」と大書され、余白に、たくさんの友の署名があった。号砲とともに飛び出した少年は、声援を送る同志の前を笑顔で駆け抜けた
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あの日の真心を、掛け替えのない希望の源泉にした少年は、現在、壮年部のリーダーに成長し、未来部や青年部の友を、わが子のように慈しむ。自分が受けた励ましを忘れない人は、人を励まし、育てられる人になる。 (城)
【聖教新聞:2015年(平成27年)12月2日(水)付】
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